秋田市のJR奥羽本線・土崎駅。2018年春に駅舎の耐震補強と内部リニューアルがされた。
駅舎北側・1番線ホーム添いに長い改札外の待合室は、木材で補強され、印象が変わった。壁際(ホーム寄り)は、その補強材と一体化したような木のベンチ。
一方、反対の通路・そば屋寄りには、JR東日本(の秋田支社?)の駅でよく見かける、木製の背もたれ付き1人掛けが3つくっついたベンチが、いくつか置かれていた。
(再掲)工事途中。左がそば屋、右がホーム
(再掲)左が改札口、右奥がそば屋
最近、そこが変わっていた。
昔キオスクがあった自販機スペースから。奥左が改札口
背もたれ付きベンチがほかに移され、列車内のようなボックスシートが置かれた!
4人掛け1ボックスが2組。
シートは形状や色に見覚えあり
これの出どころは、
(再掲)これでしょ
通称キハ40系(キハ40形またはキハ48形)、紫色の生地からして盛岡支社で使われていた(車体は白に赤いライン)車両のものか。座席の間隔は、実物より若干広いかも。
盛岡支社では、八戸線を最後(観光列車以外は2018年)にキハ40系はなくなり、その一部が、土崎駅近くの秋田総合車両センター(旧・土崎工場)に置かれていた。
現在は、線路からは一瞬しか見えない位置に置かれ、床下機器や車内設備がなくなっているようなので、解体されていると思われる。そこから持ってきた廃車発生品だと思う。
【13日補足・製造時点のキハ40系の(というか国鉄時代の普通列車車両はどれも)座席の布地は、濃い青色。JR化と前後して、地域ごとに違う色や柄に張り替えられたものが多い。秋田支社ではグレー系が標準で、このような紫色の車はなかったはず。】
床にシート状のものを張っているが、位置決めの印が残るなど、まだ途中?
容易に動かせるものじゃないから、少なくとも当分は設置するのでしょうね。
そば屋側通路との間には、透明な仕切りがある。
現地では、急いでいたこともあり、何か前と違った色になったなと思っただけだったが、写真で見たら、赤とクリーム色。それが車体の窓を模した形。
国鉄時代の気動車の車体塗装にしていることになる。
ただし、これは車体外側の塗装であって、それが車内側にあるから、実際はあり得ない。
また、この塗装は、キハ40系が新規製造された時点では、普通列車用車両には使われなくなっていたので、その点でも実際とは異なる(近年のリバイバル塗装では例あり)。
雰囲気としてはいいでしょう。“窓の外”からは立ち食いそばの香りも漂うし。
【11日追記】仕切り板のそば屋側の面にも、同じ装飾がされていた。これは、普通に外から車内を見ている形になる。さらに、列車愛称の表示板を模して「よねしろ」と書かれており、かつての急行よねしろをイメージしていることになる。
ただ、キハ40系は普通列車用車両であり、急行に使われた実績はほぼない。よねしろにはより古い、急行用のキハ58系(キハ58、キハ28)が使われ、さらに(運行開始最初期は知らないが)緑系統の専用塗装と2人掛けリクライニングシートに改装されていたので、待合室の状態とは内外ともかなり異なっていた(この記事後半に画像あり)。あくまで雰囲気をイメージして、懐かしさと旅情にひたる装飾ということなのでしょう。
※この年夏には、待合室内に扇風機も設置されたのだが、それも懐かしい扇風機であった。(以上追記)
さて、秋田支社の男鹿線、五能線からも、12日でキハ40系(観光列車を除く)がなくなる。
先立って運用を離脱した車両は、秋田総合車両センターのほか秋田駅東側の留置線にも置かれている。
キハ40系引退は多少報道され、県外からも愛好家が来ている。個人的には、たまにお世話にはなったが、好きではない車両なので、「やっとなくなる」とともにほんの少しだけ惜しい気持ち。いずれまた。
【2022年7月16日追記】土崎駅のボックスシートは、2022年になっても変わらず存続。「こちらの席での、ご飲食はお控えください。(土崎駅長)」との注意書きが貼られた。
駅舎北側・1番線ホーム添いに長い改札外の待合室は、木材で補強され、印象が変わった。壁際(ホーム寄り)は、その補強材と一体化したような木のベンチ。
一方、反対の通路・そば屋寄りには、JR東日本(の秋田支社?)の駅でよく見かける、木製の背もたれ付き1人掛けが3つくっついたベンチが、いくつか置かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/24/d995890c80b036426365747883228eb7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/f7/436b50fccb9787beb1d38e509edf7b84.jpg)
最近、そこが変わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ae/c0362b6c8c1bb1b799cea001826c052f.jpg)
背もたれ付きベンチがほかに移され、列車内のようなボックスシートが置かれた!
4人掛け1ボックスが2組。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/be/fd4a74f8c3e8a8243fc2842049570ac2.jpg)
これの出どころは、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/15/68a53ffb049016dc9bfcb9613889bb58.jpg)
通称キハ40系(キハ40形またはキハ48形)、紫色の生地からして盛岡支社で使われていた(車体は白に赤いライン)車両のものか。座席の間隔は、実物より若干広いかも。
盛岡支社では、八戸線を最後(観光列車以外は2018年)にキハ40系はなくなり、その一部が、土崎駅近くの秋田総合車両センター(旧・土崎工場)に置かれていた。
現在は、線路からは一瞬しか見えない位置に置かれ、床下機器や車内設備がなくなっているようなので、解体されていると思われる。そこから持ってきた廃車発生品だと思う。
【13日補足・製造時点のキハ40系の(というか国鉄時代の普通列車車両はどれも)座席の布地は、濃い青色。JR化と前後して、地域ごとに違う色や柄に張り替えられたものが多い。秋田支社ではグレー系が標準で、このような紫色の車はなかったはず。】
床にシート状のものを張っているが、位置決めの印が残るなど、まだ途中?
容易に動かせるものじゃないから、少なくとも当分は設置するのでしょうね。
そば屋側通路との間には、透明な仕切りがある。
現地では、急いでいたこともあり、何か前と違った色になったなと思っただけだったが、写真で見たら、赤とクリーム色。それが車体の窓を模した形。
国鉄時代の気動車の車体塗装にしていることになる。
ただし、これは車体外側の塗装であって、それが車内側にあるから、実際はあり得ない。
また、この塗装は、キハ40系が新規製造された時点では、普通列車用車両には使われなくなっていたので、その点でも実際とは異なる(近年のリバイバル塗装では例あり)。
雰囲気としてはいいでしょう。“窓の外”からは立ち食いそばの香りも漂うし。
【11日追記】仕切り板のそば屋側の面にも、同じ装飾がされていた。これは、普通に外から車内を見ている形になる。さらに、列車愛称の表示板を模して「よねしろ」と書かれており、かつての急行よねしろをイメージしていることになる。
ただ、キハ40系は普通列車用車両であり、急行に使われた実績はほぼない。よねしろにはより古い、急行用のキハ58系(キハ58、キハ28)が使われ、さらに(運行開始最初期は知らないが)緑系統の専用塗装と2人掛けリクライニングシートに改装されていたので、待合室の状態とは内外ともかなり異なっていた(この記事後半に画像あり)。あくまで雰囲気をイメージして、懐かしさと旅情にひたる装飾ということなのでしょう。
※この年夏には、待合室内に扇風機も設置されたのだが、それも懐かしい扇風機であった。(以上追記)
さて、秋田支社の男鹿線、五能線からも、12日でキハ40系(観光列車を除く)がなくなる。
先立って運用を離脱した車両は、秋田総合車両センターのほか秋田駅東側の留置線にも置かれている。
キハ40系引退は多少報道され、県外からも愛好家が来ている。個人的には、たまにお世話にはなったが、好きではない車両なので、「やっとなくなる」とともにほんの少しだけ惜しい気持ち。いずれまた。
【2022年7月16日追記】土崎駅のボックスシートは、2022年になっても変わらず存続。「こちらの席での、ご飲食はお控えください。(土崎駅長)」との注意書きが貼られた。
良い点は頑丈なことだけ。
久しぶりの前向きなダイヤ改正だと思っていますが、それに見合った結果になってほしいです。
問題と解答は、朝日新聞は別刷りがありました。
秋田工業がいちばん高倍率でしたっけ。その関係か、校舎がきれいだからなのか。
飛び降りた話は、聞いたことがありますよ。土崎から汽車通学していた人の、1975年頃の目撃談として。昔の客車列車の速度が分かりません(信号で減速していた?)が、仮に今なら、速度的に無謀です。
泉外旭川駅から工業は、近いような微妙に遠いような距離かもしれません。下り方面からだと、乗り継ぎがないし、運賃が安くなる場合もあるし、通学利用があるでしょうか。
今回は泉外旭川とキハ40廃止で、2014年のE3廃止やあけぼの廃止にならぶ秋田支社ならず東日本の中でも歴史的な改正になります。
果たしてうまくいくのか。
高校入試ネタと組み合わせ。
ABSだけが秋高で残りは秋田工業でした。ちなみに解答特番は無しで、全国5紙への解答もなし。
工業の生徒は「おんぼろ客車」時代に金砂のカーブ〜踏切で飛び降りた人がいたとかいう都市伝説があります。
それだけアクセスが微妙で、学校近くに市営バスが入ってなかったこともあるのでしょうが。
春からは、泉外旭川駅から藪善方面まで線路伝いに通うことが出来ます。
これだけでも歴史的な話かも。