広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

元気を“与える”

2011-05-19 23:58:13 | 地震
東日本大震災後、すごく引っかかる言い回しをよく耳にする。
それは、インタビューでスポーツ選手や芸能人などが口にする、
「被災者の皆さん(または日本)に元気(または希望など)を与えられるように…」
というもの。

この「与える」がとっても気になる。
話している当人にその意識はないのだろうが、自分を上に、相手(被災者)を下に見ているようにも受け取れる言い回しだと思う。
goo辞書で「与える」を調べると、最初の項に「自分の所有物を他の人に渡して、その人の物とする。現在ではやや改まった言い方で、恩恵的な意味で目下の者に授ける場合に多く用いる。」とあった。

「与える」は「やる」と同じく、相手を敬う意志が伴わない語。相手を敬うのなら、せめて「あげる」を使うのが普通だと思う。
したがって、逆に「ペットにエサをあげる」「植物に水をあげる」は正しい言い方ではなく、「やる」を使うべきだとされている。
でも、僕には「エサをあげる」よりも「元気を与える」の方がずっと気になってしまう。

もちろん、スポーツ観戦や有名人の活躍によって、実際に元気を与えてもらっている人が多いのは事実。
だけど、その与えている本人が「私が元気を与えています」って言うのはおかしいと思う。一般庶民はその元気をうやうやしく「頂戴」しろっていうわけでもあるまいし。
昨今は、「◯◯させていただく」とか犯罪者に対して敬語を使う目撃者とか、謙虚なんだかやたらと丁寧な言葉を使う人が多いが、なんでこの場面に限って「与える」なんだろう?

「元気を差し上げられるように」「元気をお分けできるように」「元気をお届けできるように」「元気を出していただけるように」とか、ふさわしい言い回しはたくさんあるのだが…


秋田県では、今日「春季高校野球県大会」が始まった。その開会式の選手宣誓においても、「東北に元気を与えられるよう…」という発言があったようだ。
高校生に元気を“与えて”もらうとは…
大人のスポーツ選手が使うのを聞いて、高校球児はつい使ってしまったのだろう。でも、主催者の高野連とか高校の先生による事前のチェックがあっただろうから、そういう人たちさえ配慮できなかったのだろうか。


言葉のほんのちょっとの違いで、印象というものは変わってしまうものです。
それとも僕がこだわりすぎでしょうか?
ちなみに「元気を与えれるように」などと、「ら抜き言葉」も“併用”されてしまうと、ものすごーく気になる!

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