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広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

あやめ団子の今

2019-08-21 00:20:22 | 秋田のいろいろ
秋田市中央部にある久保田城跡・千秋公園。
個人的には子どもの頃から親しんできた場所ながら、知らないこと(抜け穴とか)や中途半端な知識も多い。その1つ。

千秋公園の中には、いくつかの飲食店が散在している。
昔から存在している店がほとんどだけど、どれも利用したことはない。我々近くの者にとっては、千秋公園はちょっと散歩に行く場所であって、そこで食事をしようとは思わないからだろうか。料亭やフレンチレストランなど庶民には縁遠い店だったり、営業日が限られていたり、ひっそりとたたずんで入りづらかったりということもある。

御隅櫓の下、二の丸の階層に、あやめ園(植わっているのはハナショウブ?)がある。
木々がうっそうと茂り、地元の人以外はあまり来ないであろう西側の中でも、いちばん奥に相当する北寄り。僕は子どもの頃は来た覚えがない。あやめ園自体は1953年頃にできたそうで、2000年代に遊歩道など再整備されている。

千秋公園の「名物」として「あやめだんご」を挙げる秋田市民もいる。公園の中で売っていたもので、おそらくこのあやめ園にちなむのだろう。
だけど、上記のような経緯で、僕はあやめだんごの印象はほぼない。何か食べたような気がしなくもなく、串にささった団子でなく、あんこの中に団子が入った「しんこ餅」のようなものだったような気もしなくはないが、確証はない。常時購入できたわけではなく、いつの間にか廃業したり、当初とは別業者製造のものが売られるようになったりしたと聞いたこともあった。
名前は知っているけど、正体はよく分からない、あやめだんご。

右奥白く飛んでいる右奥があやめ園。その上に御隅櫓が位置する
あやめ園と相対するように、平べったい建物がある。

向かって右の玄関は民家のそれのようで、左側は横に長い大広間のような部屋。
現在は空き家になっていて、「建物管理者」として不動産会社の名前が表示されている。空き家になる前の看板は残っている。
「茶屋あやめ」
そう。ここがあやめだんごの店だったらしい。現在は、この通り、製造も販売もしていない。
実は、数年(2~3年?)前、ここから荷物を運び出しているという話を聞き、見に行ったらすっからかんになっていたのに遭遇していた。


秋田県立図書館の秋田魁新報見出しデータベース(本文を読めば詳しく分かるはずですが、そこまでやっていません)や、ネット上のブログ等を参考に、ざっと調べてみた。
・1980年8月28日魁・随筆欄「名物あやめだんご消ゆ」
店を経営してた片岡さんという人が亡くなって、だんごもなくなったらしい。

・1985年11月2日魁・読者は語る「作るのは年二十日だけ あやめだんご」
5年後までに復活したということなのか、過去の思い出を語っているのか、どちらか。この頃から既に、だんごは期間限定だったようだ。

・1988年4月22日魁「観桜会初日に新装オープン」「名物だんごの味に自信」「秋田市千秋公園の茶屋「あやめ」」
昭和最後の春には、確実に復活している。

・2006年のブログ「数年前に経営者が代わり山菜料理の店になった」
だんご屋としては再び廃業。
21世紀初めまでの間に、名前はそのまま山菜料理(田舎料理との表現も)を食べさせる店になったらしい。これ以降の情報は、ネット上にちらほら。

・2009年で67歳の女性が1人で切り盛りしている(片岡姓ではない)
・予約制で1日1組限定。畳敷き・長テーブルに大皿で山菜料理などを並べて宴会する形式。
・中にはグランドピアノがあり、コンサートを開催(2013年秋など)したことも。
・確認可能な最後の宴会は、2014年6月4日。

・山菜料理店になった後(2010~2011年頃を確認)も「あやめだんご」を発売していた。
花見シーズンには、看板などはないものの、宴会のかたわら販売。
新屋の「かなや菓子店(現在はない?)」という店が製造しただんご。
「あやめだんご」というシールがパックに貼ってあり、串にささってあんこを塗ったタイプの団子。桜の塩漬けが入っていたとのこと。


以上、団子屋として廃業・復活を何度か経て、山菜料理店になり、10年少しして廃業・空き家になった流れ。
恥ずかしながら、山菜料理店のことはまったく知らなかった。知る人ぞ知る店だったようだ。
それにしても、マイナーな場所というだけでなく、基本的に車は入ることができず、夜は多少明かりはあれど明るくはなく足元も良くはなく、冬(も営業していたのならば)は雪をかき分けてたどり着くこともあったはず。カモシカと鉢合わせするかもしれない。すごい場所にあったものだ。【21日補足・散策の場所としては、自然豊かで適度な運動量で最適だけど、酒を伴う飲食の行き帰りとしてはすごい場所】

上の写真の看板は「茶屋あやめ」。状態からしてだんご屋時代からのものか。
秋田市民では、この店を指して「あやめだんご」と呼ぶ人が多いはず。一方で「あやめ茶屋」との呼称も見られる。しかし、看板と同じ「茶屋あやめ」表記は多くない。
山菜料理店になってからも、「茶屋あやめ」とともに「あやめだんご」と称することもあったようだ。
正しい店舗名・屋号はどれだったのだろう。



千秋公園を管理する秋田市では、昨2018年に「千秋公園再整備基本計画」を策定した。
千秋公園の魅力を向上させるべく短・中・長期それぞれにやるべきことをまとめたようだけど、どこまで実現するか…

その中には、園内にある民間の店とも連携して行うことも盛りこまれていた。廃業した割烹松下を、秋田舞妓の施設にしたような感じで。
それには「あやめ茶屋の移転又はデザインコントロール」も挙げられていた。※ここでも「茶屋あやめ」ではない。
あやめ茶屋の外側の樹木を伐採や剪定して眺望確保したり、同じ階層の南側にある市の公園管理事務所を移転させた跡に茶屋を移転させたり(和洋高校とマンションがあるので眺望は?)といった構想。
この時点では、あやめ茶屋は営業していて、将来も営業を継続するつもりだったのだろうか。あやめ茶屋がやめてしまった以上、これはナシになるのか。

市の計画は別として、空き家となった建物の宴会場だった部屋を見て、外向きにも窓が多いのは分かった。窓からは木々の緑しか見えない。
今の季節、公園の外から来てこの木々の中に入るとひんやりする。だから宴会場の室内も、きっと涼しい。【21日追記・強い西陽も、木々がさえぎってくれる。】この窓を網戸にして開け放てば、自然のクーラーの極楽ではないだろうか。飲食なんかいらないから「お昼寝部屋」として使わせたらいいかも。管理は大変かもしれないけど、夜も泊まれる場所にしてもいいかも。千秋公園で寝る(野宿じゃなく)なんて、かなりぜいたくな体験になるのでは?

※その後、この年の秋には建物が解体されてしまった

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2 コメント

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Unknown (FMEN)
2019-08-21 23:09:22
あやめだんごに関わらず、こういうつぶれた飲食店は法律がなければなかに入ってみたくなります。
ドラえもんの道具とかあればなおさら。
古い掲示物や許可証、什器や調度とかが残っていたら尚よろし。
六郷や田沢湖のオートスナックを撮影したユーチューバーとかいたりしますから、多分自分だけじゃないのかも。
ちなみに六郷は配信した後に自販機が動かされ、許可証やポスターも剥がされたようでした。
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看板のみ (taic02)
2019-08-21 23:56:15
ニューシティ・ADの地下道みたいなもんですね。
ここは、大広間はガラスが多いので中がよく見え、ほぼ何も残っていないかと思われます。外の看板だけ残ったのが、むしろ不自然に感じました。
屋根など傷んでいそうな箇所もあり、このままでは廃墟になってしまいそうな気がします。
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