田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

777の思い出

2013年02月21日 | 日記
 私は英語が苦手です。簡単な文章なら、少しだけは読めるのですが、話せません。ゆっくり喋ってくれれば、理解はできますが、返す言葉は日本語です。
 昔、昔 まだ私がサラリーマン時代の話しです。隣の貸しビルに真っ赤なスポーツカーに乗り、ソバージュ髪で、少し化粧が濃い女性がいました。とにかく目立ちました。私は彼女に『スリーセブン』のニックネームをつけました。乗っていたスポーツカーのナンバーです。ところが、世の中は狭いものです。その人が私の顧客になったのです。長い付き合いの始まりでした。
 ある年、私はとっても恐い人達の仕事をしなければならなくなりました。○○屋とか◎◎組と呼ばれている集団の女将さんに、なんと六兎は見込まれてしまいました。女将さんは、たくさんのビルを所有していました。それらに関わる業務でした。ある日女将さんから「一番新しいビルの地下に店を開く娘がいます。相談にのってやってください。お店が始めてらしい娘です。相応の礼は、必ずさせますので、安心してください。」と連絡がありました。断れませんでした。
 約束の時間ピッタリに来客があることを、受付から知らされました。ななな!なんと、スリーセブンが来ました。なんと女将さんが六兎に紹介したのは、スリーセブンでした。これがスリーセブンとの馴れ初めです。
 スリーセブン嬢は私より三歳年下で、英語が堪能、将来は英語を生かした仕事をしたいと言いました。そのために、アメリカで語学を磨き、アメリカのファッション関連の専門知識を得たいと、夢を熱く語りました。
 その資金造りに、酒場をオープンさせたのでした。当時はカラオケスナックが主流でしたが、カラオケは置かず、生ギター一本のフィリピン歌手が歌っていました。ところで、酒場の男性歌手って、若干恐そうですが、良い奴でした。彼から沢山の友人ができました。知り合ったフィリピン人は、皆良い人ばかりでした。
 さて、お店は大繁盛。スリーセブンは当初の約束どおり、二年半でン千万円の利益を揚げ、居抜きで店をン百万で売却し、アメリカへ旅立ちました。(続く)