一昨日の『親の葬儀について考える』の続編です。私の友人G君はクリスチャンです。宗派は憶えておりません。エホバの証人やモルモン教、統一教会ではありません。若いころ知り合った現在の奥様がクリスチャンで、教会へ行くうちに、彼もキリスト教を信ずるようになったそうです。
彼と私は同業で、彼は公務員でした。仕事を習熟したいと相談され、役所の仕事を終え、私が勤務していた会社で研修をしました。幸いに、重役の計らいで、役所の許可を得て、それなりのアルバイト料を払っていました。役所の彼の評判は、勉強熱心との評価が高まりました。しかし彼の本心は、役所を辞め、私と起業したかったのでした。
私達の業務は依頼主に合せねばならぬ神事もあります。しかし、彼がそれに従えぬことは明白でした。私は彼に「役所勤めを続けなさい」と言い続け、それ以上の親交を控えました。
彼の父上が病で入院したことを聞きました。彼は毎晩のように病床を訪れ、父上に改宗を進言したそうです。ほどなくして父上は逝去され、キリスト教による葬儀が行われたと聞きました。
ある日G君が、独立間もない私の事務所を訪れました。私は、父上のお悔やみを申し上げ、父上のお話を聞くことになりました。G君の母上が、毎日毎日「仏壇に手を合わせられず寂しい」と、愚痴を言いながら、塞ぎこむ毎日であることを聞きました。
驚いたことにG君は、仏壇に手を合わせることが、とてもつまらないことのように言うのでした。そのような愚痴を言うことが仏教の愚かさだと言わんばかりでした。私は反論しませんでしたが、一神教の傲慢さを垣間見た気がしました。死の淵にいたG君の父上様が苦しい時に、G君の言葉が父上の耳にはどのように聞こえたのでしょう。哀れに思った私でした。
彼と私は同業で、彼は公務員でした。仕事を習熟したいと相談され、役所の仕事を終え、私が勤務していた会社で研修をしました。幸いに、重役の計らいで、役所の許可を得て、それなりのアルバイト料を払っていました。役所の彼の評判は、勉強熱心との評価が高まりました。しかし彼の本心は、役所を辞め、私と起業したかったのでした。
私達の業務は依頼主に合せねばならぬ神事もあります。しかし、彼がそれに従えぬことは明白でした。私は彼に「役所勤めを続けなさい」と言い続け、それ以上の親交を控えました。
彼の父上が病で入院したことを聞きました。彼は毎晩のように病床を訪れ、父上に改宗を進言したそうです。ほどなくして父上は逝去され、キリスト教による葬儀が行われたと聞きました。
ある日G君が、独立間もない私の事務所を訪れました。私は、父上のお悔やみを申し上げ、父上のお話を聞くことになりました。G君の母上が、毎日毎日「仏壇に手を合わせられず寂しい」と、愚痴を言いながら、塞ぎこむ毎日であることを聞きました。
驚いたことにG君は、仏壇に手を合わせることが、とてもつまらないことのように言うのでした。そのような愚痴を言うことが仏教の愚かさだと言わんばかりでした。私は反論しませんでしたが、一神教の傲慢さを垣間見た気がしました。死の淵にいたG君の父上様が苦しい時に、G君の言葉が父上の耳にはどのように聞こえたのでしょう。哀れに思った私でした。