聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇39:5 「教えてください、主よ、わたしの行く末を わたしの生涯はどれ程のものか いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
39:6 御覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも すべて空しいもの。
39:7 ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
39:8 主よ、それなら 何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。

昨日、ある教会員の姉の葬儀が行われました。その方は、1ヶ月前に同じ教会員の弟さんを亡くしたばかり。
葬儀に参列された方は、みな口を揃えて、弟さんを亡くされたことで気落ちしたのだろうと言っておられました。

人は、どんなに健康的であっても、生きる気力を失う時があります。
ショック死という言葉もあるくらい、人は、むしろ、病気や怪我などよりも、精神的なダメージの方が大きいのかもしれません。

ただ、この姉の場合は、精神的なショックで気力を失ったというより、むしろ、神様の御手にお委ねした結果、これ以上苦労しなくても良いよと神様が言って下さり、天に召されたように思います。
というのは、召される直前に、お世話になった牧師先生がお見舞いに来て下さり、一緒に詩篇23篇の御言葉を読み、お祈りして下さったそうで、彼女は、そのわずか2~3時間後に召されたのだそうです。

私たちの齢は、主の御手のうちにあるもの。そのことを覚え、すっかりお委ねして、主が生かしてくださる年月を、主のために、主とともに生きて行けたらと思います。

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