聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




詩篇26:1 主よ、あなたの裁きを望みます。わたしは完全な道を歩いてきました。主に信頼して、よろめいたことはありません。
26:2 主よ、わたしを調べ、試み はらわたと心を火をもって試してください。
26:3 あなたの慈しみはわたしの目の前にあり あなたのまことに従って歩き続けています。
26:4 偽る者と共に座らず 欺く者の仲間に入らず
26:5 悪事を謀る者の集いを憎み 主に逆らう者と共に座ることをしません。
26:6 主よ、わたしは手を洗って潔白を示し あなたの祭壇を廻り
26:7 感謝の歌声を響かせ 驚くべき御業をことごとく語り伝えます。

先日、ある方とお話ししている時「周りの人が自分のことについて、いろいろと良からぬ噂をしているらしい」ということを少し悩んでいると打ち明けて下さいました。
良いことで噂されるならまだしも、あまり好ましいものではない噂をされることは、誰も気分の良いものではありません。しかも、実際に身に覚えの無いことや、全然的外れなことを噂されるなら、これほど不愉快なことはないと思います。
私は、その方とお話ししながら、知らない人にはどう思われてもいいし、自分自身を見失わないで、あとは、自分自身をしっかりPRしていくことを心がければ、次第に、それが周りの人の評価にもなっていくのでは?とアドバイスしてみました。
自分自身をPRと言うと、自己主張のようなイメージがあるかもしれませんが、証をするというイメージで考えていくなら、割と受け入れやすいかもしれません。

2コリント4:5 わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。

私のうちにある潔白さ、真実さを主張しようとするなら、どこかで不完全であるが故に、ほころびも出てしまうかもしれません。
しかし、私が信じている主イエス様は、誠実で、真実なお方。
この方に信頼し、頼っているということを証ししていくことは、決して不誠実なことではないと思います。
自分自身の力を誇示し、潔白さを主張するよりも、仮に不誠実な者であったとしても、その不誠実な私は、真に誠実な主イエス様を信じていますということを公に言い表していく事は、きっと、私たちにとって、大きな助けとなることと思います。
少なくとも、私はそういう者でありたいと願います。



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