フィリピ2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
私が今の仕事を始めることになったきっかけの御言葉です。
「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことに心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」
この御言葉を目にした時、ここに私の目指している生き方、そして、従うべきお方があると思いました。
実際には、他人のことに心を配るということはとても難しいことではありますが、少なくとも、私の従うべきお方は、いつでも他人に心を配っていらっしゃる。そして、その他人の中に「私」という人間も含まれているということを思うだけでも、どれほどありがたいことかと思います。
イエス様は、2000年前のユダヤのベツレヘムで一人の人間としてお生まれになられ、そして、十字架の死へと歩んでいかれたお方です。そのことも、全て、私への心配りの故であることを覚え、この私が救われるための神の深い御愛の現われであることを感謝し、すべての人が「イエス・キリストは主である」とほめたたえることができるように願いつつ、これからも、今の仕事を続けさせていただければと思います。
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