Sketch of the Day

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和名ヶ谷庚申塔付近の「円弧」について

2006-10-08 | Japan
我が家のすぐ近くになんのことはない5差路の交差点がある(空中写真のほぼ中央部参照)。この写真をよく見ていただくと、南(画面下部中ほど)からきれいな円弧を描いて交差点に至る細い道路がある。ここで、さらによく見ていただきたいのだが、この道路自体は交差点にて東西に走るバス通りに合流して終わっているけれど、道路の描く「円弧」については交差点を通り過ぎて北西方向へと続いているのにお気づきいただけるであろうか。大きな畑とその南側、長方形の白屋根の建物の宅地との境界部分にきれいな「円弧」を確認できよう。わかりやすいように、同じ空中写真に「円弧」をプロットしてみるとこのようになる。赤色の実線が道路で波線が円弧の延長線である。道路の描く円弧が途中から敷地境界線が形づくる円弧となって明らかに連続しているように見えるわけだが、これはたんなる偶然なのか。。。

試みに60年前の空中写真(1948)を見てみたところ、「円弧」の謎はあっさり解けてしまった。60年前のこのあたりは一面の畑。だが、円弧を描く道路は60年前に既にあった。おそらくもっと前から存在したものであろう。その西側のほぼまっすぐな道路も既に確認できる。現在、交差点を東西に走っている二車線の道路は、今でこそデカイ顔をしているが、60年前には存在しなかったことがわかる(ごく細い道は確認できる)。「円弧」の謎解きがまだであった。この円弧、写真を見ておわかりのとおり、やはり一本の連続した道路であり、60年前は交差点を過ぎてさらに北西方向へと続いていたのだ。この円弧の道路と現在のバス通り(東西方向の広い道)に挟まれた土地(現在、白屋根の建物ほかのある宅地)は60年前はすべて畑だった。後にこの畑は宅地化されたが、その敷地境界線として「円弧」は残存した、というわけだ。

地上ではこの「敷地境界線の描く円弧」は全くうかがい知ることはできない。1万分の1地形図を見てもやはりわからない。敷地境界線(いわゆる筆界)は通常、地形図には表示されないので、地積図(公図)に頼ることになるがこれはなかなかに入手が面倒である。よって、よほどの(こんなローカルな場所の空中写真を好きこのんで見るような)物好き(←オレ)でもなければこうした事実は知り得ない(←こんなこと知ってどうする?)。でも、「過去の形態」がその機能や意味を変えて現在にも存続しているというのはとても面白い、というか貴重なことだと思う(中谷氏はこれを「先行形態」と呼んだ)。「過去」は実ははっきりと目に見える形でこのように人知れずひっそりと身を潜めていることがある。こうした「かたち」を発掘、発見することは現代に生きる我々の空間体験を実に豊かにしてくれると思うのだが、どうも「歴史」というと文化財級のものに世間は目が行きがちで常々納得できないものを感じている。