Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Subject or Object?

2005-03-04 | Japan
2005.03.04.Fri
*午前中、さいたま市役所で見沼田圃関連プロジェクトの庁内合同会議。雪が降った。タクシーが来ない。

*役所についてのメモ:役所は「問題」に対処しなくてはならない。だから、役所のストラクチャーは「問題」に則したものになっている。例えば、国土の利用や交通などのフィジカルな問題に対処するのが国土交通省であり、地方自治体であれば都市計画課等がその任にあたる。環境問題に対処するのは環境省とその系列の自治体のセクションである。しかし、役所の構成はただたんに「問題(サブジェクト)」に対応しているだけではなく、「対象(オブジェクト)」とも密に対応していよう。

国交省は全国土の土地を扱うものの規制力は乏しく、実質的に規制力を行使できる対象はインフラと都市地域にほぼ限定されている。環境省は比較的「問題」対応型の役所と言えるが、自然地域や自然公園という、やはり特定の「対象」をもっている(もちろん都市地域も扱うが)。農水省系は明らかに農業地域、森林地域を「対象」としている。このうち、互いの「対象」の線引きが顕著なのは、国交省と農水省で、「都市計画区域」によって都市と農村をはっきりと区分し、まさに縦割りで業務にあたっている。線引きが厳密である(塀が高い)ということは、仲が悪いということである。。

ちなみに都市を司るのが「都市計画法」で、農村を司るのが「農地法」「農振法」である。さらに、都市地域や農業地域、森林地域、自然地域というように、「対象」によって国土を分割する、言ってみれば、国土のどこをどの役所が受け持つかを決めるのが「国土利用計画法」という法律である。私の妻曰く、「計画」とは名ばかりで、実態は役所の「縄張り」を決める法律、だそうだ。むろん、役所はこれだけではなくて、例えば経済産業省のようなところは問題対応型の役所で特定の対象空間を持っていないから、すべての役所が特定の「対象」を持っているわけではない。

それはさておき、「対象」によって役所が構成されていることの難点は、「問題」というものが必ずしも「対象」を限定して発生するものではないということである。環境問題は自然地域だけで起きるわけではなくて、むしろ都市地域で発生することが多い。乱開発は都市地域だけでなく、農業地域や自然地域でも起きる。こういう「対象」横断的「問題」を解決する上で、「対象」別に仕分けされた役所の構成は限界がある。

問題はそれだけではない。各セクションと「対象」が密に対応していると、例えばこういうことが起きる。農地(農水省の対象)に公園(国交省の対象)をつくってくれるな、とか。その逆に、公園の中に農地はつくれない、とか。河川敷に公園をつくるのは難しいとか。あるいは、ユーザにとってみれば同じ公園なのに、自然地域にあれば自然公園(環境省の対象)で、都市地域にあれば都市公園(国交省の対象)、とか。いわゆる、縄張り争いがすぐ起きるのだ。

役所というのはこういう構造(「対象」による線引き)を持っていて、それは末端の自治体内の各セクションに至るまで徹底されている。だから、庁内の合同会議というのは非常に「疲れる」。信じがたいのは、自治体の場合、こういう縦割りを維持しながら、数年単位でホイホイ人事異動することだ。昨日の農政が今日は都市とか、日常茶飯事だ。というか、そういう、担当が常に変わる状況にあって、縦割りが維持されていくことがとても不思議だ。地方分権といっても、中央官庁のしばりがやはり相当厳しいということか。

最近、横浜市は役所の構成を見直している。縦割りの対象別構成ではなく、問題対応型の横断的構成に役所の組織構造を変えているそうだ。その先駆けが、「環境創造局」である。従来の都市計画、緑政、上下水、ゴミ、道路等々のセクションを横割りでつないだセクションである。環境も都市計画も農政も、公園緑地もすべて包含されている。ちなみに、イギリスなども、あきらかに問題対応型の役所の構成となっている。特にイングランドの場合、日本の国交省にあたる行政機能は副首相府(Office of the Deputy Prime Minister)に属していて、極めて横断的、上位の位置づけが与えられている。かつて内務省で都市計画を所管していたようなものと言えるだろう。都市計画にこういう横断的で強い位置づけが与えられているということはうらやましい限りである。それから、環境省と農水省がくっついた環境・食料・農務局(Department for Environment, Food and Rural Affairs)がある。

韓国の市場にて

2005-03-02 | East Asia
2005.03.02.Wed
*もう少し韓国に滞在する妻子を残して僕だけ一足先に日本へ。妻が釜山までクルマで送ってくれた。洛東江(ナクトンガン)のたおやかな流れは相変わらずだけど、それにしても僕が最初に韓国を訪れた15年前と比べて信じがたいほど高層マンションが増えた。雄大な金海デルタもこれじゃ終わりだな。

*帰りの機内で読んだ雑誌記事(6 Tips for Picking an Educational Program, By Katherine Weddle, Special Section: Executive Education, nwa World Traveler, Feb. 2005, p.59-68):アメリカの大学の役割として、社会人の再教育が重要なウェイトを占めていること。アメリカは転職も多いから、新たなスキルを身につけようとする人も多いのだ。それに対応してフレキシブルなカリキュラムやスケジュールの設定が不可欠となる。日本の大学も大きくはこういう流れにあるんだろうな。少子化だし。

2005.03.01.Tue
3.1独立運動を記念する祝日で韓国はお休み。この日、韓国では、独立運動や竹島(韓国では独島(ドクト))問題についてTVで念入りに報道されていた。ノ・ムヒョン大統領は、国民の感情を考慮してか、(日本の)戦後補償問題が未だ解決していない旨の見解を明らかにした。こうした国民感情は、韓国の普通の市民にとって、無関係と言わないまでも、別段どうってことのないこと、と僕はみている。少なくとも、そういう報道を前に、地方都市のド下町の市場(シジャン)で僕が日本人であることを知っていても、後ろ指さされたり、身の危険を感じる(笑)ようなことは今の韓国では決してない。

2005.02.28.Mon
早起きして、高速道路でポハンヘ。竣工したばかりの高速を使って東海(トンヘ。日本海のことだが、韓国ではこう呼んでいる。妻も日本海というと怒る)へ。片側3車線の広々とした高速道路で、時折目につく中央分離帯は驚くほど広く、修景にも気を遣っている。巨大な切り通しは日本と同様であるが、土層はほとんどなく、すぐに岩盤である。緑化やコンクリの吹きつけはほとんど行われず、削った岩がそのまま露出している。斜度のあるところでは崩落防止用のネットが張ってある。ネットの色が緑色なのは愛嬌。

昼食で名産のカニ(デゲーと呼ばれていたが、日本で言うズワイガニであろう)をいただく。専門の食堂ではなく、一般の漁師宅でカニを食わせてくれる。味は確かだが、一般の民家ということで、サービス精神はゼロ。座布団は足りないし、我々の料理と一緒に、家族の料理も準備するし、アジュンマ(おばさん)が途中でどこかに行っちゃって、調理中の鍋が吹きこぼれるし、じつにアットホームだ。それにしてもこれだけの量のズワイガニをたらふく食えるなんて、日本じゃ考えられない。昼食後、東海に面した初日の出の名所、「日出公園」と一大観光地「三思海上公園」、カニタウンを見学して、帰宅の途に。

2005.02.27.Sun
たっぷり睡眠をとり、日中は妻の実家で仕事。夕食は義父と妻子、義妹とその子供達と一緒に外食。息子の言語OSが素早く韓国語にスイッチしている。息子の韓国語力はとうに僕の上を行っている。鳳徳市場(ポンドク・シジャン)にほど近い専門店で、カムジャ・タン(ジャガイモ鍋)とカルビ・チム(カルビ蒸し)をいただく。美味い。帰宅後、また仕事。

2005.02.26.Sat
イミグレーションは女性の審査官のほうが処理が早い。この傾向は概ねどの国でも同じとみた。だから、順番待ちは、女性審査官の列に並ぼう。釜山(プサン)から高速道路で妻の実家のある大邱(デグ)へ。途中のサービスエリア(韓国では休憩所(ヒュゲソ)という)で焼き芋(ジャガイモ(カムジャ)の鉄板焼き)とうどん(韓国でもウドンとそのまま発音)を食う。このカムジャがしこたま美味い。一口サイズのジャガイモを鉄板で焼いたもので、塩をまぶして食うのだが、柔らかくて香ばしくて休憩所に来ると必ず食べることにしている。韓国のうどんもうまい。日本占領時代から定着し、そのまま韓国でも「うどん」と呼び習わされている、韓国人にとっても人気のファストフードだ。