うへ、これは重いですね。僕自身も思い当たる節が大いにあります(汗)。でも、、、「論理の違い」というのはどこにでも避けがたく存在するわけで、それ自体は別に悪いことじゃないし、どっちが良いとか悪いということじゃないと思います。各々に必然性と必要性があると思っています。そこで、「本部の論理」が往々にして「虫の目」に無関心なのは全くをもってそのとおりなんですが、それが常に間違っているかというとそうともいえない。というか「神の目」であればこそ見えてくるものがやはりある(と思いたい)。逆に「虫の目」が常に生きられる世界に注がれているとしても、その眼に常に曇りがないかといえばそうともいえない。問題は、これまで互いの論理の「摺り合わせ」が十分に行われてこなかった、あるいはそれを補完するシステムが未整備だったということなんじゃないでしょうか。論理の違いなんてものは、都市と農村、地域と国家、国家と世界まで広げなくても、石川さんがいうような、それこそ一町内にだってあるわけで、一住民と自治会長さんの立場、見方ってのはやはり違うでしょう。ただ、石川さんがいうように、「本部の論理」(というか広域の論理)というのは、常に権力とか権威と表裏一体なところがあって、行使の仕方を誤るとまずいことになるというのはそのとおりですよね。
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