レナード・バーンスタイン(指揮)+ニューヨーク・フィルハーモニック
ショスタコーヴィチ「交響曲 第5番 ニ短調 作品47」(1979,東京文化会館,SONY)
カップリングはヨーヨー・マ(チェロ)+ユージン・オーマンディ(指揮)+フィラデルフィア管弦楽団:ショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調 作品107」(1982,フィラデルフィア)。ショスタコーヴィチというのはなんだか小難しそうで取っつきにくく、でもなんだか知的な雰囲気がして(←何の根拠もないのだが)、いつかじっくり聴いてみたいと思っていた、のは遠い昔(高校の時)のこと。しかし,その後ショスタコを聴く機会はついぞ訪れなかった。つい最近まで。。。果たせるかな、夢は叶った。結果、その音楽は知的というより、生々しく、逞しい人間の意志の力を感じさせるものであった。ところで、もう一人、知的な臭いのする作曲家がいる(←こいつも無根拠な先入観ではあるが)。プロコフィエフである。ピアノコンチェルトあたりから入ってみようと思っている。
ショスタコーヴィチ「交響曲 第5番 ニ短調 作品47」(1979,東京文化会館,SONY)
カップリングはヨーヨー・マ(チェロ)+ユージン・オーマンディ(指揮)+フィラデルフィア管弦楽団:ショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調 作品107」(1982,フィラデルフィア)。ショスタコーヴィチというのはなんだか小難しそうで取っつきにくく、でもなんだか知的な雰囲気がして(←何の根拠もないのだが)、いつかじっくり聴いてみたいと思っていた、のは遠い昔(高校の時)のこと。しかし,その後ショスタコを聴く機会はついぞ訪れなかった。つい最近まで。。。果たせるかな、夢は叶った。結果、その音楽は知的というより、生々しく、逞しい人間の意志の力を感じさせるものであった。ところで、もう一人、知的な臭いのする作曲家がいる(←こいつも無根拠な先入観ではあるが)。プロコフィエフである。ピアノコンチェルトあたりから入ってみようと思っている。