ようやく

2009-03-14 | 社労士日記
旧事務所の残荷物搬出完了


ひさしぶりにゆっくり本屋にも寄れ、こちらも久しぶりのチタマの茶店でこれから


明日は旧事務所の見納めにでも行って…る時間はないよなぁ(*_*)




追記
と思ったけど、天気良さそうなので、新車(パイプ2本差し替えの中古車)の初乗りがてら見納めサイクリングかな

自転車を純粋に楽しみながら


***** 日経朝刊「フットボールの熱源」(3/4)より ここから *****
『「自分たちで」という楽しさ』

「いまの子どもは部屋にこもってゲームばかりしていて困る」と嘆くスポーツ関係者は多い。そのほとんどが、子どもの側に問題があるという認識だが、「本当にそれだけなのでしょうか」と日本自由時間スポーツ研究所の佐藤由夫所長(関西国際大学人間科学部教授)は疑義を抱く。子どもがスポーツを敬遠してゲームに向かっている原因はスポーツの側にもあるのでは、というのだ。

子どもが「スポーツがしたい」というと、親はスポーツスクールに連れて行く。スポーツが「教えるもの」「学ぶもの」になっていて、指導者は「こうしなさい」「それはだめ」と言いがちだ。

片やゲームでは、自分であれこれ工夫して裏技を駆使したり、難しすぎたらリセットしてレベルを下げたりできる。すべて自分で意思決定ができる。「本来、スポーツにもその楽しさがあるはずなのに、指導者が奪ってしまっているケースがある」と佐藤所長は話す。そうなると子どもはスポーツから逃げていく。

子どもをスポーツに引き付けようとする前に、「スポーツとは何なのか」と問い直してみる必要がある。佐藤所長によると、各地に総合型スポーツクラブが生まれているが、多くはスポーツ教室の開催ばかりに力を注いでいる段階で、プレーに付随する楽しみを分かち合っているところはまださほどないという。

「自分たちで仲間を集めて、どう戦おうかと意見を出し合い、道具を準備して、終わったらみんなで片づけて、試合について語り合う。そこまですべて総合したものがクラブライフであり、スポーツではないでしょうか」と佐藤所長は語る。肝心なのは「自分たちで」というところだろう。スポーツ関係者がスポーツの本質をそこまで深く見極めていれば、子どもたちが寄り集まる場は築ける。
(吉田誠一)
***** 日経朝刊「フットボールの熱源」(3/4)より ここまで *****


自分で創意工夫する楽しさ、ときには周りとの連携などによる制限などを受けることなど

スポーツから学んだことは社会(会社)にもつながっていて

ゲームのようにリセットできないことも当然学べることになるわけで

と、まじめに考えすぎても楽しめないので、スポーツも何事も楽しく楽しく

コメント
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