壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

道程

2010年02月21日 22時15分36秒 | Weblog
        鶯や柳のうしろ藪のまへ     芭 蕉

 芭蕉としては、珍しいくらいの単純な発想である。「柳のうしろ藪のまへ」で、柳や藪が点在する平和な田園風景の中で、自在に飛びまわり鳴き交わしている鶯が、軽やかに描き出されている。
 いまから見ると、単純すぎて何の奇もないように見られるところもある。けれども、貞門・談林以来、芭蕉の歩いてきた長い表現工夫の道程を考え合わせてくると、この単純への過程に振り落とされ、洗い上げられてきたものが、並々でなかったことを考えなければならない。
 この削り去ったものへの考慮なしに、この到達点をそのまま学ぼうとすることが、句を浅くしてしまうのだと思う。このことは、俳句に限らず、すべての芸術に通じるのではなかろうか。
 年代は『蕉翁句集』に、元禄五年(1692)とする。

 季語は、「柳」も春であるが、この句では「鶯」が主になっている。鶯そのものに触れて、軽やかにとらえてゆく発想の仕方がうかがわれる。
 なお、「鶯の初音(はつね)」は二月はじめごろ、さえずりの整うのは三月ごろ。ケキョケキョケキョと続けざまに鳴くのを、「鶯の谷渡り」という。

    「鶯があちこち移りあるいてしきりに鳴いている。その鳴いているのは、あるいは柳のうしろ
     であったり、あるいは藪の前であったりする」


 昨晩は、指先がしびれ、キーボードを打つのが非常に困難だった。そのため、稲盛和夫氏の「六つの精進」の解説部分を省略してしまった。理解を深めるために、稲盛和夫著『生き方』(サンマーク出版刊)より、そのまま引用させていただく。最近、この『生き方』はベストセラーになり、売れに売れている。変人が読んだのは今から五年前のことで、引用もその本に基づいていることを付記する。

      心を磨くために必要な「六つの精進」

    ①だれにも負けない努力をする
      人よりも多く研鑽する。また、それをひたむきに継続すること。不平不満を
     いうひまがあったら、1センチでも前へ進み、向上するように努める。
    ②謙虚にして驕らず
      「謙は益を受く」という中国古典の一節のとおり、謙虚な心が幸福を呼び、
     魂を浄化されることにもつながっていく。
    ③反省のある日々を送る 
      日々の自分の行動や心のありようを点検して、自分のことだけを考えていな
     いか、卑怯な振る舞いはないかなど、自省自戒して、改めるよう努める。
    ④生きていることに感謝する
      生きているだけで幸せだと考えて、どんな小さなことにも感謝する心を育て
     る。
    ⑤善行、利他行を積む
      「積善の家に余慶あり」。善を行い、他を利する、思いやりある言動を心が
     ける。そのような善行を積んだ人にはよい報いがある。
    ⑥感性的な悩みをしない
      いつまでも不平をいったり、してもしかたのない心配にとらわれたり、くよ
     くよと悩んでいてはいけない。そのためにも、後悔をしないようなくらい、全
     身全霊を傾けて取り組むことが大切である。


      芽柳の銀座 点滴しのばせて     季 己