壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

雨宝童子

2010年02月09日 22時36分22秒 | Weblog
 伊勢神宮のお膝元、三重県には天照大神が、天から山の頂上に降りてきた、という伝説をもった霊山がある。伊勢神宮の内宮からおよそ5㎞の北東にある、標高553メートルの朝熊山(あさまやま)がそれである。
 朝熊山は、伊勢神宮の艮(うしとら)の鬼門に当たる山で、三重県第一の霊山信仰の聖地ともいわれている。山の頂に、弘法大師空海が開基したと伝えられる金剛証寺(こんごうしょうじ)の伽藍(がらん)がある。
 伊勢神宮は、平野に位置する里宮に対して、金剛証寺は、山宮として崇敬され、神宮の鎮守寺奥の院と言われている。「お伊勢参らば朝熊(あさま)をかけよ。朝熊かけねば片参り」と俚謡にうたわれ、両方にお参りするのが「お伊勢参り」だった。

 この金剛証寺に、『雨宝陀羅尼経』の教えに基づいて刻まれた木像「雨宝(うほう)童子像」が安置されている。最古の雨宝童子像ということで、国の重要文化財に指定されている。
 頭の上に五輪塔をのせ、髪を長く垂らし、右手に金剛宝棒、左手に宝珠を持って立ち、唐服に身を包んだ、豊満な童女の姿をしている。
 この姿は、天照大神が日向国に現れたときの姿で、大日如来の化現したものとされている。伝説として、弘法大師が修行中に「天照大神の姿を感得」し、自ら刻んだ像である、と云われている。
 雨宝童子が神像であることは、金剛証寺の本堂の前の鎮守の社にまつられていたことでわかる。しかし寺では、これを「雨宝さん」と呼んで、仏とみなしている。つまり、天照大神の本地仏(ほんじぶつ)である大日如来が、天からこの山上に垂迹(すいじゃく)して雨宝童子になった、というのだろう。したがって、この雨宝童子は、天照大神の本地仏ということになる。

 朝熊山の山上に、竜池(りゅうち)と呼ばれる池があり、五十鈴川沿いの村々では、ひでりのときには、岳御池替(たけおいけがえ)といって、この池をさらい雨乞いをすることになっている。
 伊勢・志摩一帯の村では、死者があると必ずその遺髪をこの金剛証寺の奥の院に納め、塔婆(とうば)をたてる。あたかも高野山に似た信仰を持っている。これらの村びとにとっては、その祖先の霊魂の集まる霊山と、信じられていたのであろう。

 昨年夏、東京国立博物館で催された「伊勢神宮と神々の美術」展に、この「雨宝童子像」が出展されたが、その、あまりの精神性の高さに、4回通ったほどである。
 また、「雨宝童子像」というと、長井武志作「雨宝童子」(木彫・檜材)も忘れられない作品である。今でも、手元に置きたいと思っているが……。


      この山の池より湧きて春の雲     季 己