壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

鏡の裏

2010年02月19日 22時39分10秒 | Weblog
        人も見ぬ春や鏡の裏の梅     芭 蕉

 鏡の裏に「人も見ぬ春」を感じた芭蕉。そんな態度に一応、つくりものめいたところが感じられなくもない。しかし、どこか心ひかれる、しみじみとした気持が感じられる。芭蕉の、隠れたものに向いてゆく愛憐(あいれん)の情の深さによるものであろう。
 この句、元禄五年(1692)の歳旦吟と考えられているが、歳旦吟として見れば、ここには、世に隠れて棲もうとする芭蕉の心の動きがこめられている、と考えてもよいだろう。

 「鏡の裏の梅」とは、昔の鏡は、裏に花や鳥などの模様が鋳つけてあった。この句の場合は、それが梅の形だったのである。「鏡の裏の梅」を、人の見ないものの比喩ととる説には従いがたい。
 鏡の裏を題材にした和歌には、
        見えぬには 影やはうつる 十寸(ます)鏡
          裏なる鶴の 音をのみぞなく  (俊 頼『夫木集』)
        千歳にも 何か祈らむ 裏に住む
          田鶴の上をも 見るべかりける  (伊 勢『拾遺集』)
 などがある。

 季語は、「人も見ぬ春」ともとれるが、「梅」が季語として働いているととり、春。
 『泊船集』の許六書入れによれば、題詠的な発想だったようで、鏡の裏の何かを詠み出づるというのは、一つの型になっていたとも見られる。これがこの句に、つくりものめいたものを感じさせるゆえんであろう。

    「鏡の裏の梅の模様をしみじみ見た。こんなところに、誰も見ぬさまに、ひっそりと春を迎え
     ている梅もあるのだ。なんともあわれなことよ……」


 本日、金曜日は、抗癌剤投与日。血小板の数値に多少問題があったようだが、GOサインが出た。また、2月15日に受けたCT検査の結果、肺に転移した癌は、前回より確実に小さくなっていた。当初の大きさと比べたところ、当初の四分の三以下になっており、治療の効果が出ていることが確認できた。
 これも多くの皆様の祈りと激励のおかげと、深く深く感謝申し上げます。これからも頑張らずに、癌と仲良く、楽しむつもりです。ありがとう! ありがとう! ありがとう!

      点滴や触るるばかりのマスク愛(は)し     季 己