壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

牛も初音と

2010年02月05日 22時04分35秒 | Weblog
        此の梅に牛も初音と鳴きつべし     桃 青

 天満宮に奉納する句として、天神にゆかりのある梅と牛とを取合わせたもの。ことに「牛も」といって、鶯を内にひそめてしまったところが、俳諧的な趣向である。
 延宝三年(1675)五月、江戸に下った談林の中心人物、西山宗因と一座した折の連句に「桃青」の名が初めて見える。談林の新風に魅せられ、俳諧への執心も高まりつつある時期の作である。
 宗因は梅翁と号したので、「此の梅に」といったところに、梅翁の風、すなわち談林風への初音(はつね)をあげようという、意欲が隠されているのではなかろうか。牛に鈍重な自分が託されているいるのは、もちろんである。

 延宝四年二月の作。「桃青」(芭蕉)と山口信章(素堂)との両吟二百韻第一巻の発句。この二百韻は、『江戸両吟集』としてまとめられ、また『奉納二百韻』とも呼ばれる、天満宮への奉納俳諧である。

 「此の梅に」の、「此の」と強くいっているのは、天満宮社前の梅を強調した発想である。
 「牛も」は「牛までも」の意で、裏に「鶯はもちろん」の意を含んでいる。梅のみならず、牛も天満宮に関係深いものとされた。このことは付合(つけあい)指導書にも見え、牛天神といって牛に乗った菅原道真公をまつったり、境内に臥牛(がぎゅう)の像が奉納されていたりする。
 「初音と」は、自ら進んで初音をしようとする、の意。「初音」は、鶯の初音を意味するのが普通である。
 「つべし」は、完了の助動詞〈つ〉に推量の助動詞〈べし〉が接続したもので、「……に違いない、きっと……のはずだ」の意。つまり、当然の意を確認して強める意を表す。

 「初音」・「梅」が季語で、春であるが、ここでは「初音」に重みがかけられている。

    「初春を寿(ことほ)いで、この天満宮の社前の梅に、鶯は初音をはりあげているが、これに
     誘われて社前の臥牛の像までも、我も初音をしようと、鳴き出すに違いない」


      定年といふ骨休め梅真白     季 己