壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

しのぶ

2010年02月15日 20時47分47秒 | Weblog
        しのぶさへ枯れて餅買ふやどりかな     芭 蕉

 『野ざらし紀行』に、
    熱田に詣づ。社頭大いに破れ、築地(ついじ)は倒れて叢(くさむら)にかくる。
    かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、ここに石を据ゑて其の神と名のる。蓬(よ
    もぎ)・忍(しのぶ)、心のままに生ひたるぞ、なかなかにめでたきよりも心とど
    まりける。
 とあって出ている。

 おそらく熱田神宮社前の茶店などに休んだことを、「餅買ふやどり」と興じたのであろう。旅中の手軽な食事として餅を買うということで、俳諧味を生かそうとしているのである。
 句はしみじみとした味わいを出しているが、「しのぶ」に「偲ぶ」という心をこめる発想が、まだ払拭されていないようである。

 「熱田」は熱田神宮。『広辞苑』に、「名古屋市熱田区にある元官弊大社。熱田大神を主とし、相殿に天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀姫命(みやすひめのみこと)・建稲種命(たけいなたねのみこと)を祀る。神体は草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とある。
 「やどり」は、①宿ること。②旅宿りすること。③とどまること。④星の宿り。などの意があるが、前書きからして、神前の茶店にひととき休んだ、の意であろう。
 「枯れ忍」の句ということで冬季。

    「熱田神宮に詣でると、宮のほとりはすっかり荒れ果て、その昔を偲ぶよすがもない。
     忍ぶ草さえ枯れ果ててしまっている。そこで神前の茶店に休んで、餅などを食べて、
     しばし旅情を慰めたことであった」


      夢見るは補陀落渡海 寒椿     季 己