壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

あられせよ

2010年02月11日 22時38分36秒 | Weblog
        あられせよ網代の氷魚煮て出さん     芭 蕉

 門人たちとの親しい交わりがしのばれる作である。もちろん即興の句である。門人たちに語りかけ、霰(あられ)に呼びかける口調が、訪問客を迎える喜びはずんだ心を、生き生きと伝えている。

 上五を「あられせば」・「みぞれせば」とする伝本がある。
 「あられせば」と「みぞれせば」とでは、心のからりとしたはずみ、および氷魚のひきしまった感じを出すために、当然「あられ」でなければならない。
 また、「あられせば」と「あられせよ」とでは、後者の方が、句形が整うように感じられる。「あられせば」だと、氷魚もまた仮定のことになってしまい、観念に傾きすぎよう。

 「網代(あじろ)」は魚をとる仕掛け。川の瀬に、網を引く形に竹や木を打ち並べ、出口に簀をかけ魚を誘導してとらえるもの。京都の宇治川のものが名高い。
 「氷魚」は、「ひうお」あるいは「ひお」という。鮎のふ化後、一、二ヶ月を経た稚魚のこと。半透明白色、体長二、三センチ。琵琶湖産のものが特に名高く、田上(たなかみ)や宇治川の網代でとるという。

 「あられ」・「網代」・「氷魚」の、いずれも冬の季語であるが、「あられ」が強くはたらいている。「あられ」そのものが、句の風趣を添える使い方。

    「わざわざ草庵を訪うていただき、まことにかたじけない。幸い、この地特産の、網代でとれた
     氷魚が少しあるので、ひとつそれを煮ておもてなししよう。時に、この氷魚にふさわしく霰が
     ひとしきり降ってほしいものだ。そうすれば、この席にいちだんと趣が添うのだが……」


      春雪といへど十指のしびれなほ     季 己