壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

俳句は心敬

2010年02月12日 22時18分07秒 | Weblog
 もうひとつ、「水の歌びと」(http://moon.ap.teacup.com/isuzu/)というブログをもっている。
俳句の初心者、あるいは「これから俳句を始めてみよう」という方のために、書き始めたものである。
 2004年9月から2007年7月まで50回にわたり、『ささめごと』の口語訳とその解説を書き継いだものだが、昨日、その書籍化したものが出来上がってきた。
 改めて読み直したところ、かなりの加筆・修正の必要を感じた。これから三ヶ月ほどかけて書き直し、『俳句は心敬』と改題して、私家版の文庫本を少部数発行するつもりでいる。

 『ささめごと』は、室町中期の歌人、連歌師である権大僧都心敬の主著である。心敬が故郷の紀州に帰った折り、その近辺の者たちが、連歌を稽古するための指南書を懇願した。それにこたえて書かれたのが『ささめごと』である。
 心敬は『ささめごと』のなかで、「句を幽玄に詠むことは大事であるが、それは単に表現の問題ではなく、作者の心の持ち方が大事なのだ」と、説いている。
 つまり、句を上手に作ることが目的ではなく、自分自身の句を作って、心の安らぎをおぼえ、生きている喜びを感ずることが大事なのだ、と云っているのだ。
 心敬はまた、心の底から優美で、あらゆるものをやさしく、美しく見ることができるのが大事だ、とも云っている。
 これこそが、変人の目指す俳句なのだ。だから、「俳句は心敬」なのである。

 ほんとうにすぐれた句は、人間として真に誠実に生きている人でなくては、詠めないと思う。俳句を詠むということは、つまりは心の修行なのだ。人生修行と俳句修業とは、決して別のものではない。俳句の修業が即、人生修行なのである。これは俳句の世界に限らず、すべての世界に通じることではなかろうか。


      人送りきて春星のもう見えぬ     季 己