壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

衣更着

2010年02月22日 22時22分22秒 | Weblog
          二月十七日神路山を出づるとて、
          西行の涙をしたひ、増賀の信を
          かなしむ。
        裸にはまだ衣更着の嵐かな     芭 蕉

 「増賀の信(まこと)をかなしむ」という前書きの心が、この句と匂いあってところに微妙な味がある。「かなしむ」のは、その馬鹿正直なまでの実行性に、愛情とあわれみとを同時に感じているのであろう。この句の持つ、笑いの味にたいそう引きつけられる。
 
 「神路山」は、伊勢内宮南方の山。ここでは伊勢神宮の神域をさす。
 「増賀聖(ぞうがひじり)」の故事は、『撰集抄』に伝えられている。
    増賀はたいそう道心深く、伊勢大神宮に祈念して、名利を捨てよ、との示現を
    こうむったので、小袖などみな乞食どもに脱いで与えてしまって、赤裸で下向
    した。
 というのが、それである。
 「衣更着(きさらぎ)」とは、陰暦二月の異名で、余寒強く、「衣を更に着る」という意から出たという。現在「きさらぎ」は、「如月」と書く。
 語源には諸説あり、気更に来るとか、生更(きさら)ぎとか、草木が更生するなど、万物が萌え動き出す頃の意であろうか。
 「梅見月」・「初花月」・「雪解月」・「小草生月(おぐさおいづき)」ともいう。

 季語は「衣更着」で春。「きさらぎ」に、「衣を更に重ねて着る」意をひそませた使い方で、「裸には」に、それがはたらきかけるのである。貞享五年(1688)二月十七日の作。

    「増賀上人は伊勢に詣でて、〈名利を捨てよ〉との示現どおり、衣類をすっかり乞食に
     与えて、自分は裸で下向したというが、この二月のいまだ余寒きびしい嵐では、さら
     に着物を重ねたいくらいで、今の自分はとても裸でこの神域から下向できそうもない」


      梅見月こもりて母の足をもむ     季 己