二月十七日神路山を出づるとて、
西行の涙をしたひ、増賀の信を
かなしむ。
裸にはまだ衣更着の嵐かな 芭 蕉
「増賀の信(まこと)をかなしむ」という前書きの心が、この句と匂いあってところに微妙な味がある。「かなしむ」のは、その馬鹿正直なまでの実行性に、愛情とあわれみとを同時に感じているのであろう。この句の持つ、笑いの味にたいそう引きつけられる。
「神路山」は、伊勢内宮南方の山。ここでは伊勢神宮の神域をさす。
「増賀聖(ぞうがひじり)」の故事は、『撰集抄』に伝えられている。
増賀はたいそう道心深く、伊勢大神宮に祈念して、名利を捨てよ、との示現を
こうむったので、小袖などみな乞食どもに脱いで与えてしまって、赤裸で下向
した。
というのが、それである。
「衣更着(きさらぎ)」とは、陰暦二月の異名で、余寒強く、「衣を更に着る」という意から出たという。現在「きさらぎ」は、「如月」と書く。
語源には諸説あり、気更に来るとか、生更(きさら)ぎとか、草木が更生するなど、万物が萌え動き出す頃の意であろうか。
「梅見月」・「初花月」・「雪解月」・「小草生月(おぐさおいづき)」ともいう。
季語は「衣更着」で春。「きさらぎ」に、「衣を更に重ねて着る」意をひそませた使い方で、「裸には」に、それがはたらきかけるのである。貞享五年(1688)二月十七日の作。
「増賀上人は伊勢に詣でて、〈名利を捨てよ〉との示現どおり、衣類をすっかり乞食に
与えて、自分は裸で下向したというが、この二月のいまだ余寒きびしい嵐では、さら
に着物を重ねたいくらいで、今の自分はとても裸でこの神域から下向できそうもない」
梅見月こもりて母の足をもむ 季 己
西行の涙をしたひ、増賀の信を
かなしむ。
裸にはまだ衣更着の嵐かな 芭 蕉
「増賀の信(まこと)をかなしむ」という前書きの心が、この句と匂いあってところに微妙な味がある。「かなしむ」のは、その馬鹿正直なまでの実行性に、愛情とあわれみとを同時に感じているのであろう。この句の持つ、笑いの味にたいそう引きつけられる。
「神路山」は、伊勢内宮南方の山。ここでは伊勢神宮の神域をさす。
「増賀聖(ぞうがひじり)」の故事は、『撰集抄』に伝えられている。
増賀はたいそう道心深く、伊勢大神宮に祈念して、名利を捨てよ、との示現を
こうむったので、小袖などみな乞食どもに脱いで与えてしまって、赤裸で下向
した。
というのが、それである。
「衣更着(きさらぎ)」とは、陰暦二月の異名で、余寒強く、「衣を更に着る」という意から出たという。現在「きさらぎ」は、「如月」と書く。
語源には諸説あり、気更に来るとか、生更(きさら)ぎとか、草木が更生するなど、万物が萌え動き出す頃の意であろうか。
「梅見月」・「初花月」・「雪解月」・「小草生月(おぐさおいづき)」ともいう。
季語は「衣更着」で春。「きさらぎ」に、「衣を更に重ねて着る」意をひそませた使い方で、「裸には」に、それがはたらきかけるのである。貞享五年(1688)二月十七日の作。
「増賀上人は伊勢に詣でて、〈名利を捨てよ〉との示現どおり、衣類をすっかり乞食に
与えて、自分は裸で下向したというが、この二月のいまだ余寒きびしい嵐では、さら
に着物を重ねたいくらいで、今の自分はとても裸でこの神域から下向できそうもない」
梅見月こもりて母の足をもむ 季 己