壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

海苔汁

2010年02月26日 20時20分27秒 | Weblog
          浅草千里がもとにて
        海苔汁の手際見せけり浅黄椀     芭 蕉

 挨拶の句で、表に述べていることは海苔汁の手並みであるが、裏には感謝とその風雅な心をたたえる気持ちとがこめられている。「見せけり」という言い方にも、千里(ちり)の心づくしを認め、それを快く眺めている趣がある。ただ「手際見せけり」の調子が、高いものとはどうも言い切れないようである。
 年代は確定できないが、発想・動静などからみて、貞享元年(1684)ごろの作と考えられている。

 「千里」は苗村氏。通称、粕屋甚四郎。『野ざらし紀行』の折、芭蕉にお供し、「信あるかなこの人」といわれている人。大和、竹内村の出であるが、江戸に住んだ。
 「海苔汁」は、海苔の味噌汁。当時、「苔」の一字だけで海苔に用いるのが慣用であった。「海苔」は、春の季語としている歳時記がほとんどであるが、十一月半ばから一、二月が収穫のシーズンである。
 四代将軍家綱の代に、品川沖で人工的に栽培され、「浅草」で漉(す)かれて、日本どくとくの海産物となっていった。女竹(めだけ)や孟宗竹の枝の長いのを、干潮時に海底に立てる。これを海苔そだといい、これに胞子が流れついて発生するのを待った。現在は、ナイロン網を浮きで張り、貝の中で培養した胞子を放つので、確実に発生する。発育を早めるために冷凍処理をしたりして、科学的な産業と変わった。しかし、あの特徴ある紫色と、香気は今も変わってはいない。
 「浅黄椀」は塗椀の一種。黒塗りの上に縹色(はなだいろ)、つまり薄い藍色と赤・白の漆で花鳥を描いた椀で、京都二条新町で製した、といわれている。風雅な椀として珍重された。
 「海苔」が季語で春。

    「千里の心からのもてなしで、浅草名産の海苔を入れた海苔汁をふるまわれたが、
     まことに美味で、料理の手腕を遺憾なく見せたというべきである。しかも、海苔汁
     にふさわしく、雅趣に富む浅黄椀に盛られていて、亭主の心づかいのほども奥ゆ
     かしい」


      海苔買ふや雷門も夕まぐれ     季 己