桟や命をからむ蔦かづら 芭 蕉
桟(かけはし)を渡る気持を託した言い方である。
「命をからむ」には、二通りの解がある。一つは、桟が見るも危うく架かっている、まるで蔦が桟道を支え、人の命をからみ支えているようである、と解するもの。もう一つは、蔦の蔓が命の限りまといついている、これは渡る芭蕉の心でもある、とみるもの。
むかしから前者の解が多くとられているが、それではあまりに傍観的に流れすぎていて、「命をからむ」という息を凝らした表現にはそぐわない。
なお、このとき門弟の越人(えつじん)は、「霧晴れて桟は眼もふさがれず」という句を詠んでいる。
「桟や」は、『更科紀行』に所収されているが、その紀行本文の
「高山・奇峯頭の上におほひかさなりて、左は大河ながれ、巌下(がん
か)の千尋(せんじん)のおもひをなし、尺地(せきち=わずかな土
地)もたひらかならざれば、鞍のうへ静かならず。只あやふき煩ひの
みやむ時なし。桟(かけ)はし・寝覚など過ぎて、猿が馬場、立峠な
どは四十八曲りとかや、つづらをり重なりて雲路にたどる心地せらる。
歩行(かち)より行くものさへ眼くるめき、たましひしぼみて、足さ
だまらざりけるに、かの連れたる奴僕(ぬぼく)いとも恐るるけしき
見えず、馬の上にて只ねぶりにねぶりて、落ちぬべき事あまたたびな
りけるを、あとより見上げて、危ふき事限りなし。仏の御心に衆生の
うき世を見給ふもかかる事にやと、無常迅速のいそがはしさも我が身
に省みられて、阿波の鳴戸は波風もなかりけり」
を心に置くと、この句の味わいがよくわかる。
「桟」は、「木曾の桟」といって、木曾街道上松(あげまつ)と福島の間にあり、長さ百メートル余り、下は木曾川の青々とした深い淵である。
「蔦かづら」は、蔦のこと。「かづら」は蔓の意。紅葉が最も目につくものであるから、「蔦」は秋の季とされている。ここでは「からむ」ところが句の契機をなしている。
「桟が、木曾川の青々とした深い淵の上に、危うく架けられている。それ
に蔦の蔓が、命の限りすがりついているというように、必死でからみつ
いていることよ」
幸せのうらのあやふき蔦かづら 季 己
桟(かけはし)を渡る気持を託した言い方である。
「命をからむ」には、二通りの解がある。一つは、桟が見るも危うく架かっている、まるで蔦が桟道を支え、人の命をからみ支えているようである、と解するもの。もう一つは、蔦の蔓が命の限りまといついている、これは渡る芭蕉の心でもある、とみるもの。
むかしから前者の解が多くとられているが、それではあまりに傍観的に流れすぎていて、「命をからむ」という息を凝らした表現にはそぐわない。
なお、このとき門弟の越人(えつじん)は、「霧晴れて桟は眼もふさがれず」という句を詠んでいる。
「桟や」は、『更科紀行』に所収されているが、その紀行本文の
「高山・奇峯頭の上におほひかさなりて、左は大河ながれ、巌下(がん
か)の千尋(せんじん)のおもひをなし、尺地(せきち=わずかな土
地)もたひらかならざれば、鞍のうへ静かならず。只あやふき煩ひの
みやむ時なし。桟(かけ)はし・寝覚など過ぎて、猿が馬場、立峠な
どは四十八曲りとかや、つづらをり重なりて雲路にたどる心地せらる。
歩行(かち)より行くものさへ眼くるめき、たましひしぼみて、足さ
だまらざりけるに、かの連れたる奴僕(ぬぼく)いとも恐るるけしき
見えず、馬の上にて只ねぶりにねぶりて、落ちぬべき事あまたたびな
りけるを、あとより見上げて、危ふき事限りなし。仏の御心に衆生の
うき世を見給ふもかかる事にやと、無常迅速のいそがはしさも我が身
に省みられて、阿波の鳴戸は波風もなかりけり」
を心に置くと、この句の味わいがよくわかる。
「桟」は、「木曾の桟」といって、木曾街道上松(あげまつ)と福島の間にあり、長さ百メートル余り、下は木曾川の青々とした深い淵である。
「蔦かづら」は、蔦のこと。「かづら」は蔓の意。紅葉が最も目につくものであるから、「蔦」は秋の季とされている。ここでは「からむ」ところが句の契機をなしている。
「桟が、木曾川の青々とした深い淵の上に、危うく架けられている。それ
に蔦の蔓が、命の限りすがりついているというように、必死でからみつ
いていることよ」
幸せのうらのあやふき蔦かづら 季 己