秋の季語の一つに「砧」がある。「砧」は「きぬた」と読み、木槌で布を打ちやわらげるのに用いる木の台、またそれを打つことをいう。
女の夜なべ仕事として、古来、詩歌によく詠まれ、夜寒の侘びしさが付随している。今は、藁を打ちやわらげたり、紙の原料を作るために用いるだけである。
今夜は、そんなことを思わせる、涼しさを通りこした気候である。
砧打て我に聞かせよや坊が妻 芭 蕉
この句について、『新古今集』の「みよし野の山の秋風さよふけてふる里寒く衣うつなり」(藤原雅経)を、そのまま翻案したとする説があるが、それはどうだろうか。
芭蕉が古人を慕い、古人の至り得たところにひたすら入り立たんとしていることは事実であるが、それがこのころになると、自己の体験を通してつかまれ、いわば肉体化されたものとなってきているのである。
この句でも、宿坊における旅人としての寂寥が基調となっているのであって、和歌はそうしたものに遠くから匂い合っているに過ぎないのである。
異本に「きかせよ」という形があり、あるいは他の句の例のように、沈潜を求めた改案かとも考えられよう。しかし、句としては、この「や」がないと、こだまを呼ぶように反響するおもしろさが失われて、このころの発想からはずれてしまうように思われる。
『野ざらし紀行』に、「独り吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く、白雲峰に重なり、煙雨谷を埋んで、山賊(やまがつ)の家処々に小さく、西に木を伐る音、東に響き、院々の鐘の声は心の底にこたふ。昔より、この山に入りて世を忘れたる人の、多くは詩にのがれ、歌に隠る。いでや唐土(もろこし)の廬山といはむも、またむべならずや」とあって出ている。
「古人の多くが籠もり、詩に逃れ、歌に隠れた吉野の山の宿坊に泊まって、
物寂しさに耐え難いものがある。坊の妻よ、和歌にも詠まれたその砧で
も打ち鳴らして、わが旅情をなぐさめてくれよ」
秋の蚊を打つて貧しき心かな 季 己
女の夜なべ仕事として、古来、詩歌によく詠まれ、夜寒の侘びしさが付随している。今は、藁を打ちやわらげたり、紙の原料を作るために用いるだけである。
今夜は、そんなことを思わせる、涼しさを通りこした気候である。
砧打て我に聞かせよや坊が妻 芭 蕉
この句について、『新古今集』の「みよし野の山の秋風さよふけてふる里寒く衣うつなり」(藤原雅経)を、そのまま翻案したとする説があるが、それはどうだろうか。
芭蕉が古人を慕い、古人の至り得たところにひたすら入り立たんとしていることは事実であるが、それがこのころになると、自己の体験を通してつかまれ、いわば肉体化されたものとなってきているのである。
この句でも、宿坊における旅人としての寂寥が基調となっているのであって、和歌はそうしたものに遠くから匂い合っているに過ぎないのである。
異本に「きかせよ」という形があり、あるいは他の句の例のように、沈潜を求めた改案かとも考えられよう。しかし、句としては、この「や」がないと、こだまを呼ぶように反響するおもしろさが失われて、このころの発想からはずれてしまうように思われる。
『野ざらし紀行』に、「独り吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く、白雲峰に重なり、煙雨谷を埋んで、山賊(やまがつ)の家処々に小さく、西に木を伐る音、東に響き、院々の鐘の声は心の底にこたふ。昔より、この山に入りて世を忘れたる人の、多くは詩にのがれ、歌に隠る。いでや唐土(もろこし)の廬山といはむも、またむべならずや」とあって出ている。
「古人の多くが籠もり、詩に逃れ、歌に隠れた吉野の山の宿坊に泊まって、
物寂しさに耐え難いものがある。坊の妻よ、和歌にも詠まれたその砧で
も打ち鳴らして、わが旅情をなぐさめてくれよ」
秋の蚊を打つて貧しき心かな 季 己