壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ほとけ

2009年09月11日 22時39分33秒 | Weblog
 「夢想木 '09 〈木彫〉」展(日本橋高島屋 6階 美術工芸サロン)を観てきた。案内状には、
    「木の精霊を感じ、木に対する想いを独自の方法によって表現
     する木彫の世界。多摩美術大学彫刻科を卒業された、時代を
     造形する作家達による作品約25点を展観いたします。」
 とある。作家達とは、阿久津優・坂田二朗・下山直樹・深作洋子・松田重仁の5名の方々である。
 「徹子の部屋」で取り上げられ、一躍有名になった阿久津さんをはじめ、各人それぞれの個性の火花が散り、なかなかおもしろい展覧会である。とくに動物好きの方にはおすすめである。
 犬猫苦手の変人が注目したのは、深作さんの作品。深作さんの“カタツムリ”などの、木彫作品の素晴らしいことは言うまでもない。しかし、最も感動したのは、深作さんの乾漆作品「呉女」である。
 簡単に言えば、伎楽面の一種「呉女」の面、それも鼻と眉間のところが欠落した……。有名骨董商の奥に飾ってあったなら、おそらく出土品と思ってしまうほど、古色を帯びた心ふるえる作品である。

 乾漆作品といえば、長井武志さんの「聖徳太子孝養像」も忘れられない作品の一つだ。聖徳太子孝養像は、多くの木彫家達が挑んでいるが、長井さんのこの乾漆像が最高だと思う。“人形は顔が命”と言われるが、長井さんの、とくに童子の顔が、えも言われぬ気品があり、変人は大好きである。

        菊の香や奈良には古き仏達     芭 蕉

 『笈日記』に、「奈良の旧都の重陽をかけん」とあるが、これがその時の、芭蕉の旅の目標であったのだろう。
 重陽の南都はまさに菊の盛りで、ひとしお“いにしえ”が思いやられたに違いない。「菊の香」と「古き仏達」が、芭蕉の心の中に渾然とした一つの古雅な世界を醸し出したのである。
 「菊の香や」と「奈良には古き仏達」との間には、連句の「匂ひ」に比すべき気分の交流がある。繰り返し誦していると、その声調の中に、この蒼古たる世界がはっきりと浮かび出てきて、詞はその感じの中に全く没し去るような感じがする。
 「仏達」は、宗教的信仰の対象としての畏敬すべき仏の感じよりは、親しく暖かい血が流れた“ほとけ”として把握せられている。まるで長井さんの“ほとけ”と同じように。
 また、「菊の香」も、深い、色のない匂いの世界へ融け入る端緒になるような効果を持っている。

 元禄七年(1694)九月九日に詠まれたもので、「菊(の香)」が季語で秋季。
 「菊の香」そのものの本質的季感を生かしながら、それが「奈良には古き仏達」と匂いあって、深い情感の世界を醸し出すような使い方になっている。

    「重陽(菊の節句)の今日、菊の香にしずかにひたっていると、いつしか
     遠い代が思い起こされて、この菊の香にふさわしい古い仏達が、慈眼う
     るわしくおわしますことだ」


      呉女面や金粉うかぶ菊の酒     季 己