山伏の火をきりこぼす花野かな 野 ば
前書きに「豊後国日田にて」とある。豊後日田は、現在の大分県日田市。
季語は「花野」で秋季。「花野」は千草の花の咲き乱れるのをいう。
「山伏」は、修験道の行者のこと。九州修験道の中心である英彦山(ひこさん)は、日田に近い。
「火をきりこぼす」は、火打石で火を打ち出しているさまをいう。花野を歩いていた山伏が、一服しようと笈(おい)をおろし、火打石で煙草の火をかちかちと打ち出すと、その火がぱっと花野へ散りこぼれる、といった句である。
許六(きょりく)門の山本孟遠(もうえん)は、この句を、「かつらぎや木かげに光る稲妻を山伏のうつ火かとこそ見れ」(『夫木和歌抄』源兼昌)の古歌より思いついたもので、彩色物であり、下手の耳を喜ばす句であると批難した。
「軽み」を得意とした作者には珍しく趣向をこらした、華やかな句である。おそらくこれは、あるじの鳳岡(ほうこう)が、談林派の中村西国の甥で、談林めいた句を好んでいるということを、知悉していての即興の題詠であったのであろう。
「花野」は、秋の草花に満ちた野のことであるが、歌語として意識されはじめたのは、鎌倉時代からのようである。蕪村と一茶に、こんな句がある。
広道へ出て日の高き花野かな 蕪 村
吹き消したやうに日暮るる花野かな 一 茶
同じ秋の季語に「秋の野」というのがあるが、「花野」とどう違うのだろうか。
東塔の見ゆるかぎりの秋野行く 前田普羅
秋の野に鈴ならしゆく人見えず 川端康成
「秋の野」にも草花が咲き乱れているようだ。虫の声が聞こえ、さわやかな風も吹き抜けている。
やはり字面の通り、「花」と「秋」の違いであろう。静謐な明るさと哀れさが「花野」、華やかなうちに、淋しさがただようのが「秋の野」といっていいかもしれない。
笑ひ入る花野のなかの子どもたち 季 己
前書きに「豊後国日田にて」とある。豊後日田は、現在の大分県日田市。
季語は「花野」で秋季。「花野」は千草の花の咲き乱れるのをいう。
「山伏」は、修験道の行者のこと。九州修験道の中心である英彦山(ひこさん)は、日田に近い。
「火をきりこぼす」は、火打石で火を打ち出しているさまをいう。花野を歩いていた山伏が、一服しようと笈(おい)をおろし、火打石で煙草の火をかちかちと打ち出すと、その火がぱっと花野へ散りこぼれる、といった句である。
許六(きょりく)門の山本孟遠(もうえん)は、この句を、「かつらぎや木かげに光る稲妻を山伏のうつ火かとこそ見れ」(『夫木和歌抄』源兼昌)の古歌より思いついたもので、彩色物であり、下手の耳を喜ばす句であると批難した。
「軽み」を得意とした作者には珍しく趣向をこらした、華やかな句である。おそらくこれは、あるじの鳳岡(ほうこう)が、談林派の中村西国の甥で、談林めいた句を好んでいるということを、知悉していての即興の題詠であったのであろう。
「花野」は、秋の草花に満ちた野のことであるが、歌語として意識されはじめたのは、鎌倉時代からのようである。蕪村と一茶に、こんな句がある。
広道へ出て日の高き花野かな 蕪 村
吹き消したやうに日暮るる花野かな 一 茶
同じ秋の季語に「秋の野」というのがあるが、「花野」とどう違うのだろうか。
東塔の見ゆるかぎりの秋野行く 前田普羅
秋の野に鈴ならしゆく人見えず 川端康成
「秋の野」にも草花が咲き乱れているようだ。虫の声が聞こえ、さわやかな風も吹き抜けている。
やはり字面の通り、「花」と「秋」の違いであろう。静謐な明るさと哀れさが「花野」、華やかなうちに、淋しさがただようのが「秋の野」といっていいかもしれない。
笑ひ入る花野のなかの子どもたち 季 己