壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

渡り鳥

2009年09月09日 15時35分18秒 | Weblog
 秋になると、いろいろな小鳥が、大陸から渡ってくる。
 シベリアから日本海を越えて、新潟・富山あたりに上陸し、中央高地を南下する。途中で東西に分かれてゆくコースと、樺太・北海道から本州を移動するコースの二大流があり、雲かと思われる大群がよく見かけられる。
 夏にはいなかった小鳥の姿を発見すると、「秋」がぐっと身近に感じられる。

        渡り鳥みるみるわれの小さくなり     五千石

 「渡り鳥」の句の中で、最も好きな、上田五千石先生の作品である。
 俳句で「渡り鳥」という場合は、日本各地を気候の寒暖によって動いている漂鳥(ひょうちょう)も含めて、秋に北方から来る鳥のことを指すようである。
 鴫(しぎ)・千鳥・雁・鴨などの水辺の鳥、また鶫(つぐみ)・鶸(ひわ)など。
 「鳥渡る」・「小鳥来る」も秋の季語である。
 「色鳥」は、秋に渡ってくる小鳥たちの美しい、そして特徴のある色彩に注目したことばだという。つまり、花鶏(あとり)・鶸・ジョウビタキなど、色彩の美しい鳥を総称して「色鳥」という。
 春に移動するのは、「鳥帰る」・「鳥雲に入(い)る」といって区別している。

        日にかかる雲やしばしの渡り鳥     芭 蕉

 一般に、「日の面にかかった雲と見たのは、しばし空を行く渡り鳥であった」と解されているが、それでは“おもしろさ”が乏しいのではなかろうか。
 日が翳(かげ)ったしばらくの間は見えていた渡り鳥が、雲が流れ去ると、まぶしさのうちに、空の蒼(あお)さに溶けこんで、ふたたび見えなくなってしまう、そういう微妙なところをとらえている作だと思う。渡り鳥の行方を見送っている静かで寂しい、孤独の眼が感ぜられる句である。
 季語はもちろん「渡り鳥」で秋季。「渡り鳥」というものの本質をみごとに把握した発想である。

    「日の面にうすうすと雲がかかる、そのしばらくの間を、高い空を渡る、
     渡り鳥の群れが見えてくる。あの渡り鳥にさえ、「雲」という友がいる
     のに、このわたしには……」


      鳥渡るコリアンタウンといふところ     季 己