壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

もののあはれ

2009年09月05日 13時41分52秒 | Weblog
 国会部屋割り「秋の陣」が始まった。
 衆院選を終えた民主、自民両党の今度は、国会議事堂内の議員控室の部屋割りをめぐって、激しいバトルを繰り広げている。民主党308議席、自民党119議席。数がモノをいう国会だけに、果たしてこの結末はいかに……。

 ――戦国時代の東西の名将、上杉謙信と武田信玄とが川中島で激戦を交わしたことは有名である。
 謙信の奇襲作戦が成功して、謙信は単騎、信玄の本陣に進入し、馬上で剣をかざして陣中の床机に腰掛けていた信玄に、
 「如何なるか、これ剣刃上(けんじんじょう)の事(じ)」
 と、問いながら斬りかかる。
 「危機一髪のこの場の、貴公の人生を、貴公はどう受け止めるか」
 と、命がけの問答が展開される。

 信玄は、刀を抜く間もない。手にしていた指揮の軍配うちわで、謙信の鋭い太刀風を受け止めて、
 「紅炉上一点の雪」
 と答えた――という物語で、この語になじみのある方もあろう。
 昔は、血なまぐさい戦争をも、風流に伝説化するゆとりがあった。

 十一世紀の中頃、「前九年の役(えき)」という、十二年間にわたり断続した内戦があった。
 このとき、京都軍の源義家(八幡太郎)が、奥州の豪族、安倍貞任(さだとう)を衣川の関に追い詰めて、
 「衣のたてはほころびにけり」
 と、和歌の下の句を詠む。貞任は追われながらも、
 「年を経し糸のみだれのくるしさに」
 と、上の句を付ける。
 貞任の優にやさしい心に、義家は、引きしぼった矢を外して、貞任を見逃してやった、との軍記物語もある。フィクションにしても、“もののあはれ”を解する心の土壌がなければ育つはずもない物語だ。

 「紅炉上一点雪」も「年を経し糸のみだれのくるしさに」も、ともに通じ合う“はかなさ”がある。
 真っ赤に燃える炉上に舞い落ちる一片の雪が、瞬間に溶けるのをうたうのが、前者の語の字義である。『碧厳録』には、
 「荊棘林(けいきょくりん)を透(とお)る破れ衣の修行者は、紅炉上一点の雪の如し」
 と見える。
 荊棘林は、いばらやからたちなどトゲやハリのある植物の林で、煩悩など求道者を悩ます障害を象徴する。さらに、既成概念の知識や理論も直感的体験をはばむ荊棘林である。
 この荊棘林を通るときも、紅炉上に一点の雪が舞う如く、見る障害が消失して、その跡をとどめないのをいう。


      典厩寺 西瓜南瓜と並び立つ     季 己