平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

野良猫

2009-08-18 13:42:43 | 風景
どことなし寂しげな野良猫(平塚市総合公園)

私の教会でも野良猫のフン害で迷惑を被っているが、野良猫に責任はない。

平塚市総合公園内には野良猫があちこちに何十匹もいる。捨て猫だろうか。ネコに責任はない。時折、餌を与えている人を見かける。市民の中には、猫嫌い、いや猫が怖いという者もいるだろう。
このような公共の公園でネコが何十匹も放置されていることに、公園事務所はどのように考えているのだろう。実態把握をしているのか?何か対策を講じているのか?ネコに責任はない。ネコのためにも何か対策をとってほしいものだ。

人生の棚卸し」

2009-08-17 10:59:13 | 説教要旨
(先週の説教要旨) 2009年8月16日   伝道礼拝   杉野省治牧師

 「人生の棚卸し」 詩編34編1-11節

 試練の時こそ、自らの歩みを振り返るチャンスではないか。人は、順風満帆の時には自らを振り返らない。ところが、逆風が吹いてくるとそうはいかなくなる。日頃の生活を吟味することは、「人生の棚卸し」を行うことといってよいだろう。その棚卸しには、物質的な側面と霊的(精神的)側面とがある。ムダ、ムリはなかったか、将来に向けて備えをしているか、などと点検する必要がある。これらのことをしっかりと点検するならば、驚くほどに生活が簡素化されるはずである。さらに、霊的(精神的)な点検も。自分の心がどこにあったのか、偶像礼拝に陥っていなかったか、日々聖書を読み、祈ることを習慣としていたか、などと点検するのである。
 
 試練の時は、感謝することを忘れがちである。感謝は、感情から自然に生まれるものではなく、意志によって選び取るものである。すべてがうまく行っている時には、だれでも感謝の思いがわいてくる。しかし、真の感謝とはいかなる時にも意志をもって選び取る行為である。今朝の聖書の箇所、ダビデは、「どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」(詩編34:1)と歌っている。この時のダビデの状態をこの詩編の前書きはこう解説している。「ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに」。この背景は、サムエル記上18章から21章にかけて書かれているが、ダビデは自分の人生を呪ってもおかしくないような状況の中で、神をほめたたえることを選び取ったのである。

 使徒パウロも、次のように勧めている。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5:16-18)。喜ぶこと、祈ること、感謝することは、すべて意志の力によってなすものである。感謝することを一つ一つ取り上げていくと、無尽蔵の恵みが湧き出してくる。そして最後には、生かされていること自体が、どれほどの恵みであるかに目が開かれるだろう。神は私のような者を生かし、愛していてくださる。なんと有り難いことか。こういう心境になれたなら、自分を取り巻く状況が今までとは違ったものに見え始めるはずである。

 試練の時こそ、自分を振り返り、すべてに感謝し、新しい道を求める時である。苦難の道を歩んでおられる皆さんに、心からのエールを送ります。ヘブル書12:11「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」。次はロマ書5:3-4。「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」。

いっしょに

2009-08-16 13:40:37 | 牧師室だより
2009年8月16日
▲「いっしょに遊ぼう」「いっしょに始めよう」「いっしょに生きていこう」。誰かから「いっしょに」と言われると、うれしい。▲小さい頃からなんでも「自分でやれ」「ひとりでできるだろう」「他人に頼るな、甘えるな」と言われて育った私たちは、「いっしょに」と言ってくれる他者がいることに励まされる。▲小さい頃からいつでも自分は仲間はずれで、忘れられていると感じて育った私たちは、「いっしょに」と言ってもらうと、自分は独りぼっちじゃない、見捨てられていないと感じて、もうちょっと頑張れそうな気がしてくる。「いっしょに」は、とってもうれしいだけでなく、とっても安心させてくれる言葉だ。▲現代は、「いっしょに」の苦手な時代だ。一見なんでも横並びで「みんないっしょ」という気分に満ちているようでいて、それが実は「いっしょ」なんかじゃないことは、誰でも知っている。子どもたちのゲーム遊びを見よ。いっしょに遊んでいるのに一言も会話がなく、それぞれが夢中に指を動かしている。大人たちのカラオケ遊びを見よ。いっしょのカラオケボックスにいるのに、自分が歌うことに夢中で他人様なんか気にしない。そばにいる者も本気で聞いてはいない。食べているか飲んでいるか、はたまた次に歌う自分の選曲に余念がない。▲本当の「いっしょ」とは、もっと思いやりがあり、もっと忍耐強く、それゆえにもっと安心なことだ。よい親は「こうしなさい」「ああしちゃいけない」と、高みから発言しない。「いっしょにやってみよう」「お母さんも我慢するから、あなたも守ってね」と、いっしょの低い場所で発言する。よい教師、よいリーダもしかり。「これに従え」「守れない者は去れ」と、特別席から命じたりしない。「いっしょなら、きっとうまくいく」「いっしょにやることに意味がある」と、自らいっしょの輪に入って鼓舞する。▲聖書にはイエスの別名として、「インマヌエル」という名が記されている。これは、「神は我々と共におられる」という意味である。ともかく神は、どうしても、あなたといっしょにいたいのである。  

平塚の塚

2009-08-15 16:07:26 | 平塚案内
平塚の塚?
そう、なぜ「平」塚なのか、由来があるのです。
教会から歩いて10分ほどのところに(平塚4丁目)、
「平塚の塚」があります。
「塚」とは盛土をしたお墓のこと。そのお墓が平らになったから、平塚。
単純明快。
そのお墓は誰の?
平安の昔の高貴なお姫様「政子」という娘さん。京都から東国へ向かう途中、
この地で逝去。地元の人々が葬ったお墓だそうです。

地名にはいろいろ由来があって面白いですね。



澤田美喜記念館

2009-08-14 16:52:50 | 建物
澤田美喜記念館
黙想するには最適な礼拝堂です。
一階には、混血孤児教育に情熱を傾けた澤田美喜氏の収集した殉教者の歴史を語る貴重な資料を展示
マリア像、踏み絵他846点の隠れキリシタンに関する資料を展示
電話番号0463-61-4888
営業時間 10:00~16:00(12:00~13:00は昼休み)
<見学は要予約>
*入場は閉館の30分前まで

休日 土曜、日曜、月曜、祝日、年末年始*その他臨時休館あり
料金 無料
駐車場 なし
交通 JR東海道線大磯駅から徒歩3分