平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

読書感想文

2016-09-05 17:00:22 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年9月4日 読書感想文

 9月に入り夏休みも終わりましたが、夏休みで思い出すのは宿題。毎年、一番てこずったのが読書感想文。何しろ感想文を書くにはまず本を読まなければいけない。当たり前であるがこれが難問。

 何を読んでいいか分からない。さして読みたい本があるわけではない。そこでとりあえず学校の図書室か市立図書館に行って適当に一冊借りてくる。でも、特段読書好きでもないので気にはしつつ本には手が伸びない。夏休みの終わりが近づいてやっと本を手にするが、今度はどう書いていいか分からない。そんなこんなでいつも適当に書いていた気がする。

 中学三年の夏休み。今年こそはと読書感想文のために島崎藤村の小説『夜明け前』に挑戦。ところがである。蒸し暑い畳の部屋で寝っ転がって読み始めたものの1ページで本を閉じて断念。とてもこんな分厚い小説を今から読んで、さらに感想文なんか書く余裕はないと思ったのだ。

 そこで、自由作文に切り替えた。身近なことがいいと考え、隣のちょっと変わったおじさんとその子どもたちの生活ぶりを少し面白おかしく描いた(実際おもしろいおじさんと子どもたちだったのだ。よく遊んでもらった)。あっという間にすらすら書けた。なんとその作文が校内で選ばれて優秀賞をとり、さらに市内の作文コンクールで佳作をとったのだ。文才があるなんて思ってもみなかったので本人が一番びっくりした。

 先日の新聞に「読書感想文マニュアル論争」という見出しの記事があった。感想文の「書き方マニュアル」を配布した小学校があり、その詳細な内容をめぐってSNSで賛否両論の意見が飛び交っている、というのだ。

 上記のような私の子どもの頃の経験と長年の国語教師としての経験から言えばマニュアル賛成派である。好きなように書けばいいなんて言ったって、書けるものではない。何事も真似、お手本、マニュアルに従ってきっちり基礎基本を身につけることが上達の早道。作文もしかり。信仰生活も同じだと思う。

赤とんぼ見ての雑感

2016-09-05 16:54:45 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年8月28日 赤とんぼ見ての雑感

 先々週の昼下がり、教会の中庭に赤とんぼが5,6匹飛び回っていた。それを見て、「ああ、もう夏も盛りを過ぎたな」と思った。旧盆(8月15日)の頃であった。そういえば、子どもの頃、大人たちが「旧盆が過ぎると朝晩風が涼しくなる」とよく言っていた。

 このように私たち日本人は、自然現象の変化によって、季節の移り変わりを敏感に感じ取っている。次の歌などはまさにそれを詠んでいる。「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行・平安時代)。意味は、「秋の気配は、目にははっきり見えないけれど、さわやかな風のたてる音でそれと気づかされた」。

 セミの鳴き声にも季節を感じ取れる。「ミーンミンミンミン」と聞くと、「もう夏休みも終わりだな」という思いにさせられた。外国人はセミや秋の虫の鳴き声はただの騒音としか感じ取れないという。車の騒音と違って、風流な音なのにもったいないことだ。

 ところで、最近の気象情報は「今日の最高気温は何度です」といって、数字で表す。確かに35度とか36度とか言われると「えー、暑そう」とは思うけれど、なんだか味気なく、実感が伴わない感じがする。それにしても、子どもの頃に夏休み帳に毎日、天気と気温を書き込んだ記憶によると、30度を超す日は珍しかった気がするが、最近は毎日30度を超えて普通である。日本はもう亜熱帯気候だという人もいる。これも異常気象か。

 気温も重要だけど、日本の夏は湿度が高いので不快指数が上がる。関東では暑くても日陰に入ると風が心地よい。ところが、私の故郷の瀬戸内海は風もなく日陰でも高湿度でムッとする。扇風機もあまり効果がなかった。冷房機(クーラー)が普及してやっと逃げ込む場所ができた。大人たちはデパート、喫茶店、パチンコ屋、映画館などで涼をとったものだ。

 四季の移り変わりを自然現象から感じ取ろう。暑さしのぎになるかもしれない。

年相応に生きる

2016-09-05 11:32:53 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年8月21日 年相応に生きる

 人間、年をとるとガタがくる。私も高齢者と呼ばれる65歳を過ぎた。やはり、あちこちガタがきて、最近、病院通いに忙しい。以前から通っているものとして、○○症の治療のため、2ヶ月に一度、茅ヶ崎の医院に採血に行き、一週間後に検査結果を受けての診断に行く。この医院、とにかく患者さんが多くて、1時間待ちはいい方で2時間近く待たされることがあり、さすがにうんざりする。また高血圧のため1ヶ月に一度、近くの医院に行く。こちらは10分も待たないで呼ばれる。ほとんど薬の処方箋をもらいに行くようなものだが。

 それに加えて最近になって歯の治療に週2回のペースで通うようになった。以前治療した入れ歯にガタが来たのだ。治療してもらっていたら案の状、別の虫歯が見つかりその治療もということになった。さらに、評判のいい鍼灸整骨院が近くにあると聞いて、古傷の右肩の亜脱臼と慢性の腰痛の治療に行くことにした。診察の結果、昔やった足首のねんざとそこからくるひざの関節痛も治療してもらうことになった。日常生活には何の支障もないのだが、衰えるばかりの今後のことも考え通うことにした。これも週2回のペース。長引きそうだ。

 そのように私も年相応に耳も遠くなり、目もかすむことがある。さらに気力、体力、集中力、記憶力など少しずつ衰えていくのが分かる。だからといって、気落ちしないし、不幸だとも思わない。それが自然だ、と思うからである。年相応に生きればいいと考えている。

 だからといって、自分の身体や与えられた命、粗末にしていいとは思わない。神から与えられた命、かけがえのない人生、精一杯生きようと思う。そのためにも手入れは大事。

 そこで久しぶりに「人間ドック」に行った。「ドック」とはよく言ったものだ。本来は船舶の修理、建造、検査のために設けられた施設のこと。車も3年に一度は「車検」がある。人間も同じ。手入れをしながら大事に使って、生涯、神の奉仕に励みたい。年相応に。