昨日は、日本死の臨床研究会主催「学生のための第5回ホスピス・緩和ケアの集い」が、連携先のめぐみ在宅クリニックで開催されました。
分科会のファシリテーターという大役を請け負ってしまい、ちょっと緊張しましたが、なんだか和気あいあいの雰囲気で、楽しくディスカッションをすることが出来ました。
「学生のための」と付いていますが、実際は現役の看護師やケアマネ、施設関係者、医師、ボランティアなどが多かったです。
私の分科会は、医学生、薬科大学の学生、緩和ケア病棟看護師、看護学生、看護大学院生、訪問看護師を養成しているかたなどが参加してくれました。
みなさん緩和ケアには熱い思いがあって、看護学生さんと言っても、実際はNSWとしての実務経験から看護学校に入りなおした方だったり、訪問看護の経験者であったりしました。
今回は、薬科大学の学生さんが、ゼミの先生と共にたくさん参加してくれていました。
7つの分科会のファシリテーターは、敏腕ケアマネ二人、薬剤師、小澤先生、大学で闘病記から緩和ケアの授業をされている先生、病院で緩和ケア認定看護師をされている方、そして私の7人です。
今回私は「地域の中の緩和ケア」ということで、病院と地域医療との連携についてや、患者さんから多く聴く言葉をお話しして、実際に私たちはどう向き合っていけばよいのかなどをディスカッションしました。
前回私のブログでも記事にしたあるケースについて、みなそれぞれの意見を出してくれました。
「ターミナル期にあって、外出がしたいと希望した患者さん。それを叶えようと手配しましたが、患者さんは『車椅子では絶対に行かない。歩けるようになってから行くので、歩けるようになるリハビリをしてほしい。』と。
けれど、支援者はその患者さんの予後は短く、外出できるチャンスは今車椅子でしかかなえられそうにないことを知っています。」
これに対して、みなさんはどんな言葉をかけますか?
みんな悩んで言葉を探して、それぞれ違う思いを語ってくれました。
「自分なら、全部教えてほしい。そのうえで、車椅子でしかしか行けないのなら、それを選ぶかもしれない。」
「あまり考え込む前に、とりあえず外に連れ出しちゃう。そこから、喜びにつながるかもしれない。」
「希望を失わせるより、外出を目標にリハビリをすることを支援する。」
「やはり、正しい情報をきちんと伝えた方がよい。」
「そもそも、今外出させたいというのは、医療者側の希望なのではないか。現在の状況を知らない本人にとっては、そこまでの思いはないのではないか。」
などなどでした。
こういう患者さんの希望と、医療的な現実の間に開きがあって、どう伝えるべきか、どう対応するべきか苦悩することは、緩和ケア病棟でもよく直面する問題です。
と緩和ケア病棟の看護師さん。
分科会の後の報告会で、このグループからこの話の内容を報告しました。
小澤先生からのアドバイスは「外に出たい。車椅子は嫌。これが希望であり、歩けないと言う事が苦しみ。リハビリをする、ということは支えになる。
この時、反復のあともし(if)という言葉を入れてみます。
『もし、リハビリをしても歩けるようにならなかったとしたら、あなたはどうしたいですか?』と聞いてみたいですね。
もう歩けるようにはなりません。もうあなたの余命はそれほど残ってはいません。とあえて言う必要はないでしょう。」
というものでした。
こういう会話に関しては、その人その人のパーソナリティによって違うと思いますし、知りたい人、知りたくない人あるとおもいます。
けれど、「もし」という言葉であれば、どちらにしても使って見れるかもしれませんね。
それぞれの分科会から、参加者の発表があり、盛況のうちに会を終わることが出来ました。
今回も、いろんな人との出会いがあり、いろんな職種の方とお話をすることが出来ました。
こういう集まりは、自分の気持ち次第なわけですが、出れば出ただけのことはあるなぁ、といつも思います。
今回も、いい出会いをさせて頂いたので感謝です。
このあと、近くで懇親会もあり25人くらいの参加がありました。
びっくりしたのは、いつも私のブログにコメントをくれるマメタロウさんが、参加されていたことです。
「こんにちは!」遅れて行った私の席に、元気な声であいさつに来てくれました。
なんだか、とっても嬉しいですね。
同じ分科会に参加してくださった方からも、「いつもブログを読んでします。」という言葉を頂きました。
有り難いことですが、これじゃブログの亢進もあまりサボれませんね・・・。(~_~;)
とりあえず、私の役は無事終了。
また明日から、次の目標に向けて頑張ります!。
分科会のファシリテーターという大役を請け負ってしまい、ちょっと緊張しましたが、なんだか和気あいあいの雰囲気で、楽しくディスカッションをすることが出来ました。
「学生のための」と付いていますが、実際は現役の看護師やケアマネ、施設関係者、医師、ボランティアなどが多かったです。
私の分科会は、医学生、薬科大学の学生、緩和ケア病棟看護師、看護学生、看護大学院生、訪問看護師を養成しているかたなどが参加してくれました。
みなさん緩和ケアには熱い思いがあって、看護学生さんと言っても、実際はNSWとしての実務経験から看護学校に入りなおした方だったり、訪問看護の経験者であったりしました。
今回は、薬科大学の学生さんが、ゼミの先生と共にたくさん参加してくれていました。
7つの分科会のファシリテーターは、敏腕ケアマネ二人、薬剤師、小澤先生、大学で闘病記から緩和ケアの授業をされている先生、病院で緩和ケア認定看護師をされている方、そして私の7人です。
今回私は「地域の中の緩和ケア」ということで、病院と地域医療との連携についてや、患者さんから多く聴く言葉をお話しして、実際に私たちはどう向き合っていけばよいのかなどをディスカッションしました。
前回私のブログでも記事にしたあるケースについて、みなそれぞれの意見を出してくれました。
「ターミナル期にあって、外出がしたいと希望した患者さん。それを叶えようと手配しましたが、患者さんは『車椅子では絶対に行かない。歩けるようになってから行くので、歩けるようになるリハビリをしてほしい。』と。
けれど、支援者はその患者さんの予後は短く、外出できるチャンスは今車椅子でしかかなえられそうにないことを知っています。」
これに対して、みなさんはどんな言葉をかけますか?
みんな悩んで言葉を探して、それぞれ違う思いを語ってくれました。
「自分なら、全部教えてほしい。そのうえで、車椅子でしかしか行けないのなら、それを選ぶかもしれない。」
「あまり考え込む前に、とりあえず外に連れ出しちゃう。そこから、喜びにつながるかもしれない。」
「希望を失わせるより、外出を目標にリハビリをすることを支援する。」
「やはり、正しい情報をきちんと伝えた方がよい。」
「そもそも、今外出させたいというのは、医療者側の希望なのではないか。現在の状況を知らない本人にとっては、そこまでの思いはないのではないか。」
などなどでした。
こういう患者さんの希望と、医療的な現実の間に開きがあって、どう伝えるべきか、どう対応するべきか苦悩することは、緩和ケア病棟でもよく直面する問題です。
と緩和ケア病棟の看護師さん。
分科会の後の報告会で、このグループからこの話の内容を報告しました。
小澤先生からのアドバイスは「外に出たい。車椅子は嫌。これが希望であり、歩けないと言う事が苦しみ。リハビリをする、ということは支えになる。
この時、反復のあともし(if)という言葉を入れてみます。
『もし、リハビリをしても歩けるようにならなかったとしたら、あなたはどうしたいですか?』と聞いてみたいですね。
もう歩けるようにはなりません。もうあなたの余命はそれほど残ってはいません。とあえて言う必要はないでしょう。」
というものでした。
こういう会話に関しては、その人その人のパーソナリティによって違うと思いますし、知りたい人、知りたくない人あるとおもいます。
けれど、「もし」という言葉であれば、どちらにしても使って見れるかもしれませんね。
それぞれの分科会から、参加者の発表があり、盛況のうちに会を終わることが出来ました。
今回も、いろんな人との出会いがあり、いろんな職種の方とお話をすることが出来ました。
こういう集まりは、自分の気持ち次第なわけですが、出れば出ただけのことはあるなぁ、といつも思います。
今回も、いい出会いをさせて頂いたので感謝です。
このあと、近くで懇親会もあり25人くらいの参加がありました。
びっくりしたのは、いつも私のブログにコメントをくれるマメタロウさんが、参加されていたことです。
「こんにちは!」遅れて行った私の席に、元気な声であいさつに来てくれました。
なんだか、とっても嬉しいですね。
同じ分科会に参加してくださった方からも、「いつもブログを読んでします。」という言葉を頂きました。
有り難いことですが、これじゃブログの亢進もあまりサボれませんね・・・。(~_~;)
とりあえず、私の役は無事終了。
また明日から、次の目標に向けて頑張ります!。