ターミナルの患者さんで、痛みに関しては「我慢しない、させない」ことをみんなで目指しています。
今までは、予測指示内でほとんんど問題はなかったのですが、いろいろな悪条件が重なって、今日は朝から痛みが取れないでいる患者さんがいます。
もともと、疼痛コントロールの薬を使うのが嫌で嫌で仕方なかった患者さん。
何度も説明をして、必要量を決めて処方しても、ちょっと痛みがないと自分でベースの薬を減らしてしまいます。
レスキューだって、なかなか手を出しませんでした。
「ぼーっとしちゃうから・・」「うとうとしちゃうから」「体に悪いでしょう?」「少ない方がいいよね。」
でも、結局は痛みで飲まざる得なくなる。
医師も看護師も薬剤師も、何回説明しても同じことの繰り返しでした。
べつに理解力が悪いわけでも、認知があるわけでもなく、それは彼の精いっぱいの病気への抵抗なのだと思います。
ですから、今までの主治医は、ぎりぎり量を減らして、処方をしていました。
それでも、痛みのコントロールは比較的良好で、痛くてもレスキューで何とかなってもいました。
ただ、痛みというものは突然激しくなることもあります。
そこには、癌性疼痛以前の不安や恐怖も影響してきます。
たまたま主治医が変更になったばかりで、たまたま家族が入院して今夜は一人。
気がやさしくて、でもとても怖がりで、誰かがいないと不安でしょうがない患者さんです。
今日は、きっと不安だろうねとみんなで話していました。
やはり緊急電話に連絡があったそうです。
「痛い!何をしても痛い!レスキューも効かない!ビリビリする!」
昼からリリカが増量になり、夜からベースも増えました。
明日には、全部処方をし直すから、今夜だけなんとか痛みを乗り越えてほしい。
でも痛い。
次はこれ。
じゃあこの次は?
今夜の緊急当番も心配でしょうがないようです。
自宅にあるものでやりくりしながら、これで今夜は眠れますように。
そう願いながら、一緒に祈るしかないのです。
私たちは、やっぱり無力なのだと、こんな夜は思い知らされます。
今までは、予測指示内でほとんんど問題はなかったのですが、いろいろな悪条件が重なって、今日は朝から痛みが取れないでいる患者さんがいます。
もともと、疼痛コントロールの薬を使うのが嫌で嫌で仕方なかった患者さん。
何度も説明をして、必要量を決めて処方しても、ちょっと痛みがないと自分でベースの薬を減らしてしまいます。
レスキューだって、なかなか手を出しませんでした。
「ぼーっとしちゃうから・・」「うとうとしちゃうから」「体に悪いでしょう?」「少ない方がいいよね。」
でも、結局は痛みで飲まざる得なくなる。
医師も看護師も薬剤師も、何回説明しても同じことの繰り返しでした。
べつに理解力が悪いわけでも、認知があるわけでもなく、それは彼の精いっぱいの病気への抵抗なのだと思います。
ですから、今までの主治医は、ぎりぎり量を減らして、処方をしていました。
それでも、痛みのコントロールは比較的良好で、痛くてもレスキューで何とかなってもいました。
ただ、痛みというものは突然激しくなることもあります。
そこには、癌性疼痛以前の不安や恐怖も影響してきます。
たまたま主治医が変更になったばかりで、たまたま家族が入院して今夜は一人。
気がやさしくて、でもとても怖がりで、誰かがいないと不安でしょうがない患者さんです。
今日は、きっと不安だろうねとみんなで話していました。
やはり緊急電話に連絡があったそうです。
「痛い!何をしても痛い!レスキューも効かない!ビリビリする!」
昼からリリカが増量になり、夜からベースも増えました。
明日には、全部処方をし直すから、今夜だけなんとか痛みを乗り越えてほしい。
でも痛い。
次はこれ。
じゃあこの次は?
今夜の緊急当番も心配でしょうがないようです。
自宅にあるものでやりくりしながら、これで今夜は眠れますように。
そう願いながら、一緒に祈るしかないのです。
私たちは、やっぱり無力なのだと、こんな夜は思い知らされます。