すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

大火から再建始動の糸魚川

2017年01月04日 | 日々思うこと

雪のない正月3日の昨日の午後、焼け野原となった本町通りを通って郵便局まで出かけました。2日にアップした加賀の井酒造さんの無傷(?)の看板が気になって、この目で確認したいこともあり現場を通ると、アマチュアと思しき人たちが道路に三脚を立てての写真撮りです。いい写真を撮りたいと寒空の中を遠くからやって来たのでしょうか、地元の人ではなさそうです。

この看板は蔵元の西側の第四銀行寄りの庇の下に設置されていたことが、28日付けの写真で思い出し、改めて加賀藩参勤交代と加賀の井酒造(小林家)との関わりを読み取ることができるのでもう一度貼り付けました。

実は加賀の井酒造さんへは私が20代の頃、市内の建設会社に勤めていた時にご縁があって何度も訪れていただけに悲しさが深まります。お隣りの泉家さんからも当時、会社への出前で先代が自転車でお蕎麦を届けてくださり、近年には孫たちとよく出かけていました。お座敷の古い柱時計も棚に飾ってあったたくさんの蕎麦猪口も、みんな燃えてしまったことが現実とは思えず胸が痛くなります。

裏の銀行の駐車場は時どき利用していましたが、欅や針葉樹などの何本かの焼け焦げた大きな木が痛々しく感じます。土蔵の屋根と木造トラスがすべて焼け落ちて、石造りの壁面と煙突だけが残って災の大きさが伝わります。

今日は冷たい雨の中での仕事始めで、米田市長は職員を前に「災害に強い元気な街に・・・」と新年の決意です。ガレキ処理への個人負担が限りなくゼロになったことで、撤去作業が本格的に進んでゆくことでしょう。当初は対象が木造だけとされていただけに、銀行を挟んでの交差点のRC3階建ての住居兼用の知り合いの歯科医院も、家屋構造に関係なく支援されることでホッとしました。今月23日から横町の元歯科医院で再院する運びで、被災された方々は生活再建へがんばっています。

明日は寒の入りで糸魚川駅北大火から2週間、がんばっている老舗和菓子店の紅久さんへ寄ってから、危機一髪で被災を免れた知人宅へ・・・、その後は市役所へ義援金を届けるなど私も始動の新年です。