すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

“巨木の人”、村山常雄さんを偲ぶ・・・

2014年07月07日 | 日々思うこと

朝から大雨注意報の中、去る5月11日に亡くなった能生地区の村山常雄さんのお宅へと向かいました。埼玉から奥様が納骨に来られるということで急きょ、平和活動を一緒にしてきた人たちが“偲ぶ会”を計画しました。先ず最初に最近の新聞掲載記事や、先月16日に参院議員会館で行われた「しのぶ会」と「シベリア特措法4周年記念集会」の報告があり、妻のカズさんは「夫は情熱の人で、付き合うのが大変でした(笑)」と、熱く語る凛とした姿に愛情の深さが伝わってきました。また集まった20人あまりの大半は元教員の皆さんで、在りし日の教育現場での先生を偲ぶことができ、自己紹介で私は5月13日付けブログ「村山常雄さんの訃報とシベリア抑留者名簿・・・」の一部を読ませていただきました。

おりしも7月1日付け毎日新聞オピニオン記者の目「無名戦士の無念の重み~シベリア抑留・村山常雄さんの遺産」の記事が紹介され、村山さんの死亡を「巨木が倒れた」と、抑留研究や報道に携わる者にとって村山さんはよるべき巨木だったと、何度か能生のお宅を訪れたという栗原俊雄記者が書いていました。さらに記者生活20年でこんなに心を込めて書いた記事はなかったという裏話なども伺うことができ、マスコミ関係者からも“いい記事”だと評されたそうです。
この記事全文は毎日新聞オピニオン・アーカイブ(ウエブ無料登録)で読むことができます。

http://mainichi.jp/shimen/news/20140701ddm005070100000c.html

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そして能生を離れてしばらくお留守にしていたお庭はとても手入れが行き届き、奥様がお話しをされている間はウグイスが時どき鳴いているので不思議に思いました。 また「延命治療はしないこと、葬式は家族葬で、院号はいらない」などの遺言を残され、亡くなる5日前にベットで「今日が最後の日だ」と言われ、奥様と寄り添い2時間ほど結婚生活60年の思い出を語り合い、翌日には救急車で日赤救急病棟へ入られたことを伺い、笑顔の遺影が一人ひとりに話しかけているようでした。

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シベリア抑留の仲間たちの“生きた証し”をたどる作業に10年以上を費やし、70歳からパソコンに向かって死亡者名簿を打ち続けた村山常雄さん、「絶対に戦争をしてはいけない、戦争の仲間にならない、巻き込まれてもいけない」、「戦争の後始末をしない国は同じことを繰り返す」と叫び続けました。最後に紙に書いた言葉は「平和をしっかり守れ」という、まさに見上げるまでの“巨木”そのものの方でした。病床で「俺の仕事は終わりではない」と言いながら木は倒れてしまいましたが、種は確実に拡散され芽吹いていることを感じ、七夕の今日の出会いに感謝し、いっぱいのエネルギーをいただき雨の中を心温かくして帰途に着きました。改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。