(毎日新聞「習志野原今昔物語 9」からの抜粋です)
第一次大戦下「スペイン風邪」猛威
第一次世界大戦下の1918年春、欧州の戦場で奇怪な感染症が流行していく。流行に敵味方の区別はなく、西部戦線で対峙するドイツと英仏米など連合国軍の両軍に拡大していった。史上最悪のパンデミック(世界的大流行)といわれた「スペイン風邪」(インフルエンザ)である。戦時で情報統制下にあった各国は感染流行による被害状況を公表していなかったが、中立国だったスペインは当時の王室で感染者が多く出たこともあり、被害状況が最初に報じられたことで、呼称にスペインの名が冠されるようになった。
日本で39万人 独兵捕虜25人死亡 西郷所長も犠牲
この年の夏には日本にもスペイン風邪が襲来した。21年までの3年間で感染拡大の波が三度あり、「第一波」で約2100万人の感染者、約26万人の死者が出た。続く「第二波」では感染者数は240万人、死者約13万人と死亡率が急増した。「第三波」では感染者数約22万人、死者約3700人で、死者数は総計で約39万人に達した。全世界では感染者6億人、死者2500万人以上という大パンデミックだった。
習志野原でも犠牲者が出た。当時、第一次世界大戦のドイツ兵捕虜が収容されていた収容所で、ドイツ兵の25人がスペイン風邪が原因で亡くなった。さらに19年元旦には、高熱をおして捕虜の看護のために出所していた陸軍の西郷寅太郎所長が亡くなる。西郷所長は感染症の大流行を懸念して年末から注意していたようだが、本人が犠牲となってしまった。
陸軍は西郷所長の死亡した日をなぜか1月4日と発表している。著名な陸軍軍人である西郷所長がスペイン風邪で亡くなったことを隠蔽したかったのだろうか。
(編集部より)
記事の中の画像にもありますが、当時も「マスクをかけぬ命知らず!」など啓発ポスターがあちこちに貼られたようです。
西郷所長の死については、「住みたい習志野」の記事もあります。
64年大久保でのコレラ騒ぎと、19年スペイン風邪による西郷寅太郎(習志野収容所長)の死 - 住みたい習志野
当時の新聞報道です。
西郷家の人びとについて書かれたサイトです。
西郷隆盛・糸子の子孫を家系図付きで解説!女優など現在でも活躍している方が多数!
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す