レイバーネットにも掲載されています。
http://www.labornetjp.org/news/2018/1530665090619takaheims
ご存じですか、習志野俘虜収容所
習志野市はソーセージを大々的に売り出し中です。なぜか。
それは日本でのソーセージ発祥の地が習志野だからです。なぜか。
それはドイツ兵たちが収容されていた習志野俘虜収容所があったからです。
時は第一次世界大戦終結前の大正5年頃。当時、日本人一般には肉食は
普及されていませんでしたが、騎兵連隊の所在地である大久保には、
数件の食肉納入の御用商人がいました。ドイツ兵は捨てられる豚の腸を惜しみ、
ソーセージ作りを始めました。 その噂を聞きつけた千葉市の農商務省畜産試験場の
飯田技師が、国民の栄養向上に役立つ食品としてソーセージに注目し、収容所の所長に交渉
ソーセージ職人から作り方の秘伝を伝授してもらいました。
さて収容所の所長ですが、ご存じでしょうか。西郷隆盛の嫡男寅太郎です 西南の役に敗れ、
遺族となった寅太郎は11歳。明治天皇の配慮でドイツのポツダムにある陸軍士官学校へ留学。
13年間、ドイツで生活をしました。
寅太郎だったからではないでしょうが、日本はハーグ陸戦法規を遵守し、労役についた捕虜たちには
階級相当の給与を支払っていました。
収容所の中では音楽、演劇、映画、勉強会、スポーツ、出版、とさまざまな活動がおこなわれおり、
音楽はオーケストラ、男声合唱団、弦楽四重奏団、軽音楽団などがあり、ある捕虜の日記には
「毎週日曜と、金曜には大音楽会をおこなった」と記されています。 1000人の捕虜のうち、
音楽家は多く、そのほとんどが上海の疎開地で活動していました。演奏レベルは高く、プログラム
構成はしっかりしています。
そしてお酒です。収容所内では将校の飲酒は自由。下士官、兵卒もビールだけは許されており、
彼らの好みの銘柄はキリンで、クリスマスの三日間に、総計3000リットルのビールを売り上げたとか。
酒場では“豚”という言葉が使われていたようで、子豚…20リッターのビール樽、大豚…30リッター、
雌豚…一番大きいビール樽、だったそうです。
「柵を越えたMUSIK(ムジーク(音楽))~ドイツ兵はキリンビールがお好き?」
- 日時:8月1日(水)午後2時開演
- 会場:習志野市民会館(京成大久保駅前)
- 演奏:町の音楽好きネットワーク
町の音楽好きネットワークは習志野在住(だった)の、音楽を生業としている仲間たちです。
「柵を越えたMUSIK」は、同じ市にあった収容所で奏でられていた曲を、私たちが再現する音楽会です。
今回はドイツ兵が好きだったキリンビールの話を、麦酒醸造家の倉田さんから伺ったり、資料から紹介したり、収容所で醸造されていたというビールはどんな味だったのかを探っていきます。
演奏は歌、ヴァイオリン、ピアノですが、数曲、県立千葉女子高オーケストラ部(有志)と共演します。
「閉じておくれ 僕の眼を」、「ハンガリー舞曲」、「ユモレスク」、「トロイメライ」、「春の声」、「美しく青きドナウ」
などです。
習志野に積まれた時間。その上で生活する私たちの音楽もまた、時間と共に積まれていきます。
積もった土地から、いつも音楽が聞こえる町にしたいです。
問合せ&チケットの申込先:
- 町の音楽好きネットワーク事務局 090-3808-4163
戸田志香(“町の音楽好きネットワーク” 千葉県習志野市 声楽家)