習志野市がなかなか動こうとしないため、習志野市のドイツ人俘虜収容所の歴史的事実が風化し、忘れ去られてしまうのではないか、と言われています。
そんな中で千葉県日独協会が100年前の習志野ドイツ人俘虜収容所の写真を入手した、という明るい(習志野市民としては恥ずかしい)ニュースが千葉日報に載りました。
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「習志野俘虜収容所」写真を購入 ドイツ人捕虜と日本人、くつろぐ姿も 県日独協会
捕虜のドイツ将兵と複数の日本人が写る集合写真(千葉県日独協会提供)
第1次世界大戦(1914~18年)で、日本の捕虜となったドイツ将兵らを収容した「習志野俘虜(ふりょ)収容所」関連の写真100枚余を、千葉県日独協会(金谷誠一郎会長)が、ドイツ在住の捕虜のひ孫から購入した。同世界大戦終結から100年の節目の年に同協会が入手した写真には日本人の姿もあり、捕虜と住民との交流、また当時の庶民生活を知る上で貴重な資料となりそうだ。
同収容所は、15年9月から20年1月まで現在の習志野市東習志野にあり、最大千人近くが収容されていた。その中に、ドイツ軍艦「イルティス号」の乗組員で、水兵のヴィルヘルム・ザッセ(1890~1957年)がいた。今年3月、ザッセの遺品の写真を所有している、ひ孫のエルマー・グローセ氏=ドイツ・ミュンヘン在住=から同協会が115枚を買い入れた。
千葉大名誉教授で同協会名誉会長、宗宮好和氏(72)などによると、115枚のうち103枚が同収容所に関するものと見られる。103枚の多くは、これまで日本国内で知られていない可能性が高いという。
「習志野俘虜収容所」写真を購入 ドイツ人捕虜と日本人、くつろぐ姿も 県日独協会
遠足で外出しくつろぐ捕虜(千葉県日独協会提供)
捕虜の集合写真には複数の日本人男女の姿があり、また、ザッセと和服の女性が並んで撮影されたものもある。遠足の際、収容所の外でくつろぐ捕虜らの写真には「カブトビール」と書かれた札も見られ、当時の庶民生活を知ることができる。カブトビールは1899~1943年、現愛知県半田市で製造されていた。また、ソーセージ職人で、その製造方法を日本人に教えたことで知られているカール・ヤーン関連も含まれている。当時のレシピを現代風にアレンジし、ご当地グルメの習志野ソーセージが生まれた。
これら日独の交流を物語る貴重な一葉について宗宮氏は「一般の日本人が写っている写真はあまりなく、撮影場所や人物を調べたい」と話し情報を求めている。一方、別の捕虜の孫のイムケ・リューアさんからも20枚が協会に送られてきた。
写真に関する情報は同協会事務局(第2ワールドナーシングホーム内)(電話)047(461)9111へ。