住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

「命短し、恋せよ乙女」(ゴンドラの唄)のルーツはアンデルセン?

2023-03-19 18:45:42 | エンタメ

「命短し、恋せよ乙女」(ゴンドラの唄)のルーツはアンデルセン?

この歌、聞いた事がある方は多いと思います。

ゴンドラの唄 (歌詞つき) 鮫島有美子

この歌のルーツをさぐった「甦る『ゴンドラの唄』」という面白い本があります。

甦る『ゴンドラの唄』―「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容 | 直樹, 相沢 |本 | 通販 | Amazon

この本に書かれたことを引用しながら、この唄のたどった数奇な運命をご紹介したいと思います。

ツルゲーネフの小説「その前夜」が日本で上演された時の劇中歌だった「ゴンドラの唄」

「ゴンドラの唄」は、芸術座が19世紀ロシアの作家ツルゲーネフの手になる長編小説「その前夜」をもとに作り上げた芝居「其前夜」の劇中歌として生まれました。

「その前夜」全体のあらすじ

独立心に富んだモスクワの貴族令嬢エレーナは、トルコの圧政に苦しむ祖国を解放することに全身全霊を捧げるブルガリア人留学生インサーロフと出会い、たがいに強く惹かれるようになります。インサーロフは一度は黙って去ろうとしますが、偶然のはからいで二人は再会し、たがいの気持を確認して秘密裏に結婚します。それが露見して父は激怒し、母は悲嘆に暮れ、彼女に心を寄せていた芸術家肌のシュービンと学者肌のベルセーネフは落胆を隠せません。

折しもトルコとロシアの戦争が始まり、風雲急を告げるブルガリアに向かってインサーロフは病身を押してエレーナとともに旅立ちます。二人がやっとイタリアのヴェネツィアに辿り着いて祖国に渡る船を待っているあいだに、エレーナの祈りも空しく、インサーロフは帰らぬ人となります。ひとり残されたエレーナがインサーロフの柩ととともにアドリア海を渡り、夫の遺志を継ごうとするところで幕が降ります。

「ゴンドラの唄」の詩を書いた吉井 勇

「ゴンドラの唄」の詩を書いた吉井 勇は明治から昭和にかけての歌人・劇作家です。東京の伯爵家の生まれながら、文学好きが高じて新詩社に入社して「明星」に短歌を発表しましたが、まもなく退社し、1908(明治41)年「パンの会」を結成。翌年森鴎外の監修のもと「スバル」創刊に参加。
絶頂期の吉井勇の歌風は、酒と女に溺れた青春時代のメチャクチャを歌った、ちょっとクズれた歌詠みだったのです。

ちなみにこの劇を上演した芸術座の島村抱月は欧州留学中、夜にヴェネツィアに到着したそうです。この時の印象を元にして、劇の中でヴェネツィアの闇とゴンドラの燈火が際立つ舞台設定にしたそうです。

アンデルセン「即興詩人」の中の「ヴェネーツィアの小歌」をエロく解釈してしまった鷗外

「ゴンドラの唄」の歌詞はアンデルセン原作・森鷗外訳「即興詩人」のなかの詩句から「取った」ことは、吉井勇氏も認めています。

アンデルセン即興詩人の中に出て来る「ヴェネーツィアの歌」、原文のデンマーク語から大畑末吉さんが、こう訳しています。

赤いくちびるに口づけを、あすの命をだれが知ろう!恋せよ、きみが心の若く、きみが血潮の火ともえるうちに!(中略)波にゆられていこう!波はいだき合う、ぼくらと同じように。恋せよ、若さがきみの血潮に燃える間に。(大畑末吉訳)

鷗外訳(デンマーク語ではなく、ドイツ語訳文からの翻訳)ではこうなっています。

朱の脣に触れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。恋せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。(中略)二人は波の上に漂ひ、波は相推し、相就き、二人も相推し相就くことその波の如くならん。恋せよ、、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。

この歌について「即興詩人」の語り手のアントニオが「おもしろい、ほんとうに楽しい歌でした」と語っていますが、鷗外訳では「まことにこの歌はその辞卑猥にしてその意放縦なり」とエロい歌のように解釈されてしまっています。

鷗外の「エロい解釈」のせいで、吉井勇氏の歌詞もエロっぽくなった

この鷗外の「エロい解釈」に引きずられたせいか、吉井勇氏の「ゴンドラの唄」には、元々のアンデルセンの「即興詩人」の中にはない、「いざ燃ゆる頬を 君が頬に」とか「君が柔手を 我が肩に」などという色っぽい表現が出てきます。

いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを

いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂う 舟の様に
君が柔手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

ツルゲーネフの原作にはない「ゴンドラの唄」

芸術座の舞台ではヴェネツィアの船頭がこの歌を歌ったことになっていますが、この場面はツルゲーネフの原作にはない、劇のための創作です。

しかも小説の中ではツルゲーネフが船頭について





おちこちで船頭たちが短く低く叫んでいた(彼らは今ではけっして歌わない)。ほかに物音はほとんど聞こえなかった

と書いていますが、小説の翻訳者が間違えて「今ではけっして歌わない」の但し書きの部分をカットして訳してしまったために「船頭が歌う」という誤解が生じてしまったようです。

黒澤明「生きる」で、再び脚光を浴びた「ゴンドラの唄」

この「ゴンドラの唄」、黒澤明監督の「生きる」という映画の中で主人公が歌い、再び脚光を浴びます。(以下、あらすじです)

市役所に勤務し、市民課長を務める渡辺勘治(志村喬)。そんな渡辺は書類の山を前に判子を押す、時間つぶしのような日々を送っていた。

ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、病院で診察を受けました。医師から胃潰瘍だと告げられた渡辺でしたが、実際は「胃がん」にかかっていると悟り、ひどく落ち込みます。

渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めたお金を引き出し、飲み屋で独りお酒に溺れていると、偶然、知り合った小説家に連れられ、これまでには行ったことのないパチンコやダンスホール、ストリップショーなど、夜の街を徘徊します。

渡辺は以前職場の部下だった小田切とよの働く玩具工場でゼンマイのウサギのおもちゃを見る。「この玩具を作っていると世界中の子供たちと自分は繋がっており幸せ。あんたも何か作ってみれば」と小田切に言われ、以後、人が変わったように、役所の幹部、市議会議員とツルむヤクザなどと闘いながら公園づくりに心血を注ぎ、完成したあと亡くなる。亡くなる前渡辺は雪の公園で「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコを漕いでいた。

生きる/志村喬

なお、この映画、最近イギリスでリメイクされました。

この映画「生きる LIVING」 の中では「ゴンドラの唄」ではなく、「The Rowan Tree(ナナカマドの木)」という歌が歌われているそうです。この曲もいいですね。脚本はカズオ・イシグロさん、黒澤作品より明るい癒し系の映画になっているそうです。

ロシアで映画化された「その前夜」Накануне(ナカヌーニェ)、you tubeでご覧になれます。

ブルガリア人革命家インサーロフとロシアの貴族令嬢エレーナ

加藤登紀子 ロシアとウクライナへの思い、「百万本のバラ」秘話 - 住みたい習志野

MISIAも加藤登紀子も歌う昔のアメリカの反戦歌「花はどこへ行った」誕生秘話 - 住みたい習志野

(追記)
「ゴンドラの唄」を作詞した吉井勇氏について、「ドイツ兵士の見たニッポン」の著者Hさんから、「習志野のドイツ人俘虜収容所にいた日本文化研究者フリッツ・ルンプに寄せた短歌を残し、それを石川啄木が紹介している」という以下のエピソードをご紹介いただきました。

吉井勇。「パンの会」の同人ですが、「この歌をFRITZ RUMPFに寄す」という短歌30首を残しています。ルンプはもちろん、後に習志野に収容されるルンプです。二人で永代橋あたりを呑み歩いていたのでしょう。
日本文学をやっている人らは「ルンプって誰だろう」で済ませているのでしょうが、本当は映画やテレビドラマの主人公にしたら最高に面白い珍人物。「ヘンな外人」の元祖でしょうね。

石川啄木 吉井君の歌

「吉井君の歌」(石川啄木)より

フリツ・ルンプに寄せた歌の中から氣に合つた二三首を拔く。

露臺ばるこんの欄にもたれてもの思ふうたびとの眼のやわらかさかな
あはれにもうたげあらけてめづらしき異國の酒の香のみ殘れる
ゆふぐれの河岸にただずみ水を見る背廣の人よ何を思へる
諸聲もろごゑの流行の小唄身にぞ染む船の汽笛の玻璃に鳴る時
いまもは廣重の繪をながめつゝ隅田川をば戀しとおもふや

(フリッツ・ルンプフの日本の木版画)
Fritz Rumpf's Japanese Woodcuts: Holy Grail #3

Fritz Rumpf's Japanese Woodcuts: Holy Grail #3

woodblock etching print printmaker

 

 

ルンプさんについては、このブログの記事などにも書かれています。

大分から習志野に来たドイツ人捕虜の写真展を大分で開催 - 住みたい習志野

絵本「バウムクーヘンとヒロシマ」似島ドイツ人捕虜収容所で誕生したお菓子の物語 - 住みたい習志野

https://www.eajrs.net/files/happyo/Yamamoto_Tokuro_12.pdf

フリッツ・ルンプフ - Wikipedia

フリッツ・ルンプ(Fritz Rumpf)年譜について

フリッツ・ルンプ ドイツ屈指の日本文化研究者 その生涯と業績(22世紀アート) | 山本 登朗 | 軍事 | Kindleストア | Amazon

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 残虐非道なミャンマー国軍、... | トップ | 雑誌に報道された、習志野市... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2023-03-20 23:29:03
 「ゴンドラの唄」が ツルゲーネフの「その前夜」という小説の劇中歌だったとは。 そしてその小説がそんな悲恋物語だったということも初めて知りました。渋い志村喬が「生きる」という黒澤映画の中で、雪の夜にブランコを漕ぎながら なんでこの「ゴンドラの唄」なんだろう?と、多分子供時代に感じた謎が いくつも繋がりました。「いのち 短し・・・」というのも、ツルゲーネフの小説のストーリーを考えたら合点がいきました。素晴らしく奥が深くて想像を遥かに超える展開の、面白い記事でした。(拍手)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。