5月30日、千葉県弁護士会館で
前川喜平さんと語ろう 楽しく安心して学べる学校!「子どもの人権」から教育を考えよう
という会が開かれました
この会に参加された近先生(「住みたい習志野」にNarashino Geographyを連載してくださっています)からレポートをいただきました。
「良識」ある官僚の苦悩
5月30日(日)、午後1時半から千葉県弁護士会館で「前川さんと語ろう『楽しく安心して通える学校!』子どもの権利から教育を考える 」が開かれ、約100人がオフラインで参加しました。その他オンライン・ZOOMでの参加もあり、コビット19拡大下での学習会は充実したものになりました。
講演での前川さんのお話しです。
安倍首相の政治的キャンペーンに利用された「全国一斉休校」
まず学校は子どもたちの人権を尊重する場でなければなりません。昨年2月末の安倍晋三元首相の唐突な全国一斉休校要請は教育権と生存権を大きく侵害しました。感染がほとんど広がっていない地域まで休校させる、という乱暴なものでした。そのとき、全国の教育委員会はほとんど機能せず、首相の要請をそのまま実行して子どもたちに取り返しのつかない損害を与えました。この休校要請は、政治的にはコストのかからないキャンペーンとして、「やってる感」の演出に成功しました。
「ゆとり教育」で一旦成績があがったのに…
文科省の教育施策は20世紀末から先進国型への転換を目指して、「ゆとり教育」として進められました。結果はゆとり世代が高校1年生となった2013年のOECDのPISA学力調査で日本は数学と科学的リテラシーでトップ。読解力で2位と今までで最高の成績を収めました。
2013年からの「ゆとり教育批判」キャンペーンで「復古調教育」の歴史教科書が出回るようになる
しかし、皮肉なことに2013年から、「ゆとり教育批判」が政治的にキャンペーンされ、詰込型の教育内容に転換されました。同時に復古調教育が押しすめられ、道徳の教科化やあったことをなかったことにするような歴史教科書が出回るようになりました。日本会議や新しい歴史教科書を作る会などは安倍晋三政権の下で勢いを増していきました。
安倍政権の退潮と共に、あったことをなかったことにする「復古調教科書」は使われなくなった
しかし、安倍政権の退潮と共に、育鵬社の中学歴史、公民教科書は全国のほとんどの学校で使われなくなりました。しかし、千葉県立中学校では採用されているのは残念です。
為政者に都合のいい「考えさせない教育」
日本の学校は、子どもたちに考えさせない教育を敗戦後も続けてきました。それは為政者にとって都合のいい教育でした。
人権尊重と民主主義の主体として「子どもたちを大切にする学校」にするには先生の「ゆとり」が必要
子どもの権利条約や憲法、教育基本法を踏まえ、人権尊重と民主主義の主体として子どもたちを大切にする学校でなければと考えます。そのためには学校の先生が子どもに向き合う時間、ゆとりが保証されるよう変えていく必要があります。
不登校は「子どもの居場所として学校が役割を果たしていない」証拠
増え続ける不登校は、子どもの居場所として学校が役割を果たしていないことの証明です。
校則での支配や「授業が分からない生徒を置き去りにする」教育はやめるべき
校則での支配や「753」※と呼ばれるような分からない生徒を取りこぼしていくような授業はやめていくことがカギになります」と予定時間を越えて話されました。
※753⇒授業を理解している子どもが、小学校で7割、中学5割、高校3割のしかいないこと
前川さんのお話を聞いて(ボクの感じたこと)
「復古主義教育」の流れ、ボクの教職人生と重なる前川さんの官僚人生
1978年から2016年まで高校で生徒たちに向き合ってきたボクにとって、自らの教職人生を振り返るような内容で、反省し共感して聞くことができました。敗戦後の教育を大きく転換させようとした中曽根康弘ができなかった復古主義教育を、森喜朗が引き継ぎ、それを安倍晋三が進めた時代がボクの教職人生と前川さんの官僚人生と重なっています。
「学ばない」教員を求める教育委員会
この40年で学校では、教員が学ぶという文化が失われました。それは、教員の多忙化によって物理的に学ぶ時間がないということ、教育委員会が学ばない教員を求めたことが背景にあります。
教育を「産業化」するGIGAスクール構想は空虚。戸惑う教員
さらにGIGAスクール構想は子ども一人ひとりにタブレット端末を持たせて、教育の“効率”をあげようという戦略ですが、「構想」の内実は空虚です。タブレット端末をどのように利用して、授業に生かすのか、学校では教員が戸惑っています。その隙にベネッセやヤフー、エプソンなどが、教育を産業化して乗っ取ろうとしているようにボクには見えます。
政治家とつながる「道徳」授業
もっと心配なのは、子どもたちがタブレットを通じて文科大臣や首長などの政治家とつながり、「道徳」と言って授業に直接することです。あるいは「スーパーティーチャー」(文科省にほめられるような授業を行う教師をスーパーティーチャーに指定する制度)の授業が配信され、生身の教員の教育が蔑ろ(ないがしろ)にされていくのではと危惧しています。
コビッド19(新型コロナ)感染と五輪動員にゆれる学校
コビッド19感染騒動と五輪騒動の只中で学校も大きく揺らいでいます。東京では多くの子どもたちが五輪に動員されようとしています。改めて、教育とは何が大切か、子どもたちと教員が生かされる学校とはどのようなものか考え、政治を変えていかなければならないと締めくくられた集会でした。
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