住みたい習志野

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習志野市の姉妹都市タスカルーサ(読者投稿)

2020-11-06 00:07:42 | 投稿

(ブログ読者の方からの投稿です)

習志野市の姉妹都市 タスカルーサ

 習志野市の姉妹都市はアメリカ、アラバマ州タスカルーサ市であることは皆さんよくご存知のことと思います。昭和61年(1986)4月26日に姉妹都市提携の調印をして以来、青少年の交流を中心に絆を深めてきました。タスカルーサ市にはアラバマ大学の本部があり、同大学と千葉大学が姉妹校となったことが縁となり、同じく文教都市である習志野市と姉妹都市になったとされています。

タスカルーサ市にあるアラバマ大学は、1963年黒人学生の入学を認めない、とする白人至上主義者のウォレス州知事の妨害をはねのけて黒人学生James Hood (ジェイムズ・フッド)とVivian Malone(ヴィヴィアン・マローン)が入学した、公民権運動を象徴する大学でもあります。


東日本大震災の時、すぐに義捐金を送ってくれたタスカルーサ市

 平成23年(2011)3月11日、東日本大震災発生の折には、習志野市でも少なからず被害があったことを知ったタスカルーサ市民は、直ちに義捐金(ぎえんきん)を集めて送ってくれました。

その1ヶ月後タスカルーサ市を襲った竜巻

ところがそれから1ヶ月ほど後、そのタスカルーサを大きな悲劇が襲いました。4月22日、アメリカ中南部で暴風雨が発生し始めました。ところがこれに伴い多数の竜巻が発生し、次々と各地を襲っては記録的な被害を残したのです。最も被害が大きかったのはアラバマ州で、4月26日夜から27日にかけて甚大な被害が発生し、死傷者は200人を超えました。非常事態が宣言され、アラバマ州兵2000人が動員されたそうです。4月29日、タスカルーサ市を視察したオバマ大統領(当時)は「これほどの破壊は見たことがない。悲痛だ」と語り、被災者を激励して回ったのでした。

(オバマ大統領、現地を訪問)



(2011年、タスカルーサ)

市長選の最中、習志野市民が義捐金を集め、タスカルーサ市に送りました

 折しも習志野市では市長選挙が行われていましたが、習志野ロータリークラブ、習志野市国際交流協会などが義捐金の募金を行い、市を通じてタスカルーサ市に贈ったのでした。義捐金の合計は1,659,587円(「広報習志野」平成23年10月1日号)に上ったと記録されています。

 その後、9年後の現在までにタスカルーサ市が完全に復興したのか、いまだに苦しんでいる被災者などいないのか。残念ながら情報がありませんが、東日本大震災にかんがみれば、町はきれいに復興しても、心の傷を残している人はきっとまだいるのでしょうね。

第二次世界大戦後広がった「姉妹都市」制度

 ところで、姉妹都市とは何でしょうか。姉妹都市は第二次世界大戦後に広がった運動ですが、大戦による荒廃を出発点に、国境を越えた市民間の交流を行うことで、相互理解を深め、世界平和に寄与することを目標としているとされています。特にヨーロッパでは、敵対した国どうしの市民の間に友情を育むことで戦争の傷跡を克服しようという色彩が強くなりました。

来年は東日本大震災とタスカルーサ竜巻被害から10年 

 かつて、日本とアメリカが戦争をした―。あえてそれを持ち出すかどうかは別にして、どこかに平和を考える要素を残しておかなくては、本当の姉妹都市とは言えないのでしょう。そういう意味では、偶然双方に襲いかかった大きな自然災害を共に励ましあい、乗り切った記憶というものは、習志野、タスカルーサ双方にとって大きな経験になったはずです。

 来年は東日本大震災から10年、そして4月にはタスカルーサの竜巻被害から10年を迎えます。姉妹都市提携からは35年。何か行事を企画するならば、あと半年。習志野市は、特に考えはないのでしょうか。

震災、竜巻という不運の中での愛と支援を語るタスカルーサ市長。一方、一言も災害についてふれない宮本市長

2013年、習志野市国際交流協会設立25周年に寄せて、タスカルーサ市長は以下のような心のこもったメッセージを送ってくれました。


 近年、両市は共に自然大惨事を乗り越えることにより精神的な発展を遂げました。
 習志野市と同じく当市は、自然災害後の一連の再建のさなかにあります。2011年4月27日・28日に竜巻EF-4がタスカルーサ市とその周辺を襲いました。この不運を通じて私たちが出会った溢れる愛と支援は、自身に満ちた希望の歴史の証です。
 習志野市とタスカルーサは荒天だけではなく、乗り越える喜びを持ちました。大自然の母が我々に雲をもたらす時、同時に銀色の裏地も与えてくださることを私たちは知りました。

これに対し、宮本市長のメッセージ、いかにも「儀礼的」です。

タスカルーサ市民が竜巻で負った深い傷をいたわる言葉どころか、竜巻被害にただの一言もふれていません。

こちらは5年前の「なるほど習志野」、姉妹都市提携30年の記念番組です。ここでも、竜巻のことは一切出てきません。



悲しいです。恥ずかしいです。姉妹都市のあり方について、あらためて考えさせられました。


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