8月29日は大正9年(1920)に山縣飛行士が鷺沼の畑に墜落死してから102年目の日
8月29日は天才飛行士と言われた山縣豊太郎(やまがた・とよたろう)さんが鷺沼の畑に墜落して亡くなってから102年目。でも習志野市は慰霊祭などをやる気配がないようです。習志野市、もっと郷土の歴史を大事にして欲しいですね。
(田中エミリさんの「エミリちゃんねる」の動画とコメントです)
【ならしの散歩】天才飛行士の墜落場所に建つ石碑「山縣飛行士殉空之地碑」
山縣豊太郎は、大正8年(1919)5月4日に民間初の宙返り飛行を成功させ、5月10日の東京遷都50年祭では、強風の中、連続2回宙返りを成功させるなど、天才飛行士として絶賛されました。
しかし、大正9年(1920)8月29日、連続3回宙返りの際に翼が折れて、鷺沼の畑に墜落死しました。 享年23歳でした。 現在も墜落した場所には「山縣飛行士殉空之地」の石碑が建っています。
住所:千葉県習志野市鷺沼5丁目4付近 最寄り駅: 京成幕張本郷駅から徒歩10分 幕張本郷駅から徒歩11分
習志野市公式サイト
山縣飛行士殉空の地(やまがたひこうしじゅんくうのち)碑
鷺沼海岸にあった「伊藤音次郎」の飛行場。山縣さんは伊藤音次郎の一番弟子でした
鷺沼海岸に飛行場があった!日本民間航空の開拓者「伊藤音次郎」(投稿) - 住みたい習志野
「鷺沼海岸に飛行場があった!〜日本民間航空の開拓者〜伊藤音次郎展」 - 元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
区画整理で「山縣飛行士殉空の地碑」の運命は?
鷺沼の区画整理が予定されていますが、この「山縣飛行士殉空の地碑」が建っている墜落の地は、きちんと保存されるのでしょうか?習志野市の姿勢が注目されます。
貴重な遺跡がまた潰(つぶ)される?(鷺沼区画整理事業) - 住みたい習志野
現在の計画では、碑は低層住宅地域に移設される、ということのようです。
碑は引っこ抜いて、どこかに移せばいいと思っているのでしょうが、碑に価値があるのではなく、あの場所(墜落地点)にあることにこそ意味があるのではないでしょうか。習志野市の大事な歴史遺産、是非現状のまま保存してもらいたいですね。
低層住宅地域にするにしても、あの一画は小公園として残し、史跡説明板でも作るべきでしょうね。土地も石碑も伊藤家の所有物だということを忘れてもらっては困ります。
大阪の八尾市が山縣飛行士の写真を保存
というサイトで山縣飛行士の写真が見られます。
(山縣が大正8年(1919)の第1回東京・大阪間郵便飛行競技会に出場したときの写真)
八尾市にある、こういう写真、習志野市でこそ保存して欲しいものですね。
きょう一日、天才飛行士山縣さんに思いを馳せてみては如何でしょうか?
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