住みたい習志野

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「ちいき新聞」に谷津遊園の思い出の記事が載りました

2020-03-13 22:31:52 | 市情報

今はもうないけれど…みんなの思い出
昭和の人気遊園地
谷津遊園
デートも遠足も!
盛りだくさんパーク

 塩田だった場所を埋め立て1925年に開園した京成遊園地は、その後「谷津遊園」と改称された(戦時中のみ「谷津園」)。
 谷津遊園はいわば「遊びの総合商社」だ。沿岸部の立地を生かした海水浴場、潮干狩り場をはじめ、大規模なバラ園に野球場。100種500頭(78年当時)の本格的な動物園。大きなプールの中央には天守閣、ボート池のほとりには欧風のお城がそびえたつ谷津ワンダーランド。遊覧飛行のためのヘリポートや、ここで50本もの映画を製作した板東妻三郎の撮影所もあった。
 だが集客の要はやはり遊具。日本初の360度宙返りコースター「コ-クスクリュー」には連曰行列ができ、乗車まで3時間待ちの日も。コース全長670m、うち170mが海上を走る斬新なコースター「サーフジェツト」も人気アトラクション。海抜50mの高さを誇る大観覧車は当時国内最大級。73年の京成電鉄社内報にも「谷津遊園に来て大観覧車に乗らざるべからず」との記述がある。

遊園地の片リん今も
記憶よみがえる風景

 閉園したのは82年末。最後の2日間は無料開放され、惜しまれつつ57年の歴史に幕を下ろした。束京ディズニーランド開園4ヵ月前のことである。
 だが、谷津遊園の忘れ形見は今もそこここに生きている。
 阪妻関東撮影所として使われた楽天府(旧日本勧業銀行本店の建物)は干葉市に移築され、現在は干葉トヨペット本社社屋に。コークスクリューは北海道のルスツリゾートで今も活躍中だ。バラ園は習志野市が管理者となり、谷津バラ園として存続している。
 映画「男はつらいよ」第30作は谷津遊園で撮影の一部が行われ、閉園直後に公聞された。作品の中で、営業当時の園の風景を垣間見ることができるだろう。
 大正、昭和を駆け抜けた古き良き時代のゴージャスな遊園地。そこで生まれたものの一部が令和の未来まで続いているという事実は尊い。
 緑豊かな跡地を散策しつつ、谷津遊園に思いをはせてみてはいかが。  (カメ)
(以上、3月13日号「ちいき新聞」より)

・習志野っ子にとっては、特になつかしい谷津遊園
・谷津遊園駅(1984年に「谷津」駅に改称)から遊園地までの細長い沿道に並んでいた海ほうずきを思い出しませんか?
・ジェットコースターに菊人形。動物園にはマントヒヒや八丈島の「きょん」もいました。
・谷津遊園の黒字のおかげで谷津小や一中の音楽活動のための楽器が購入できた、と聞きました。谷津遊園は「音楽のまち習志野」に一役買っていたんですね。
・京成電鉄が不動産業で出した赤字を埋めるため残念ながら売却され、今はパークタウンという団地になっています。
※今の習志野市は公共施設を次々に売却する「不動産行政」と言われています。懐かしい谷津遊園がたどった道を繰り返さなければいいのですが…

最後におまけ。昔の谷津遊園の写真です(「京成電鉄古地図さんぽ」より)


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