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韓国民主化運動の象徴だった金芝河(キム・ジハ)氏逝く

2022-05-09 00:49:55 | エンタメ

韓国民主化運動の象徴だった金芝河(キム・ジハ)氏逝く

韓国軍事政権下の言論弾圧で二度も死刑判決を受けた詩人の金芝河さん(本名:金英一 キムヨンイル)、韓国民主化運動の象徴的存在でしたが、8日、81歳で亡くなりました。ペンネームの「芝河(ジハ)」は「地下(ジハ)」からとった、とも言われています。

キム・ジハさんの略歴

金芝河 - Wikipedia

金芝河 - Wikipedia

 

 

1941年、全羅南道木浦市に映画技師の一人息子として生まれる。中学時代から詩作を始め、ソウル大学校美術大学美学科在学中から詩作を発表する。 在学中に4・19学生革命に参加。以降も学生運動を主導し、当局から逮捕拘束される。

1961年、5・16軍事クーデターでの朴正煕政権登場以降、反政府活動を強める。1970年、朴正煕大統領体制を鋭く風刺した長篇詩『五賊』を発表し、反共法違反容疑で拘束される(五賊筆禍事件)。

(注)『五賊』は財閥、国会議員、高級公務員、将星、長・次官をそれぞれ、5つの動物になぞらえて「五賊」と呼び、彼らが国民から財を吸い上げて贅沢三昧する様子を描いた詩。下のポスターの中の絵はキム・ジハ氏本人が描いたものだそうです。

当局からの逃亡生活を余儀なくされるが、地下活動を続け、軍事政権下で民主化運動をリードした。1971年末には日本でも長篇詩『五賊』は『長い暗闇の彼方に』というタイトルで、日本共産党「赤旗」記者だった萩原遼によって翻訳され、金芝河の名前が日本でも広く知られるようになった。

1974年、大統領緊急措置により死刑判決を受けたが、一旦は釈放。しかし、釈放後に「東亜日報」に掲載した手記『苦行--1974』で、人民革命党事件の捏造を批判した(民青学連事件)ことから反共法違反により再逮捕、死刑判決(のち無期懲役に減刑)。 投獄に対して、ジャン=ポール・サルトルや大江健三郎、鶴見俊輔などによる国際的釈放要求の声が沸きあがり、1980年12月再度釈放される。通算7年にも及ぶ獄中生活に対し、軍事政権の言論弾圧に屈しなかったとして、ロータス賞(特別賞、1975年)、クライスキー人権賞、偉大な詩人賞を受賞。

以降、詩作以外にも随筆や談論集を発表し、パンソリや仮面劇の伝統を生かした『櫻賊歌』『蜚語』などを発表。1982年頃からは、地域自治を提唱するサルリム(生命)運動や環境問題、消費者共同体運動、東アジアの伝統を見直す活動など、詩作以外にも活動を広げる。しかし、生命運動などを通じて神秘主義的な言動が顕著になったことで、民主化運動(特に学生運動)に対する思想転向と受けとめる者も現れ、韓国内では賛否両論を巻き起こした。

1991年4月には、明知大学校生の姜慶大殴打致死事件を契機に起こった一連の焼身自殺事件に対して、その抗議姿勢を批判して1991年5月5日付の『朝鮮日報』コラムに「死(焼身自殺)による礼讃を止めよ!(죽음의 굿판을 당장 걷어 치워라!)」とのアピールを出している。この文章は国内に激烈な反響を引き起こす。自身の政治的立場は「中道進歩」としており、1998年〜2008年の10年間続いた進歩政権、特に盧武鉉政権については厳しい批判をしている。2007年の大統領選挙ではソウル大学時代の先輩で親交が深い孫鶴圭支持を表明。2012年大韓民国大統領選挙では、自身が弾圧を受けたときの大統領である朴正煕の長女で与党・セヌリ党の大統領候補となった朴槿恵支持を表明した

1998年12月に日本を初訪問。

2013年1月4日、再審で民青学連事件の嫌疑について「犯罪の事実なし」として無罪判決が下った。

なお、漢字復活論者でもあった。2022年、江原道原州市の自宅で死去。

軍事独裁政権下で日本の映画、演劇、音楽が韓国で禁じられていた頃、状況劇場(紅テント)の唐十郎と「非合法」野外劇を演じる、という離れ業をやったキム・ジハ

(NHK「アナザー・ストーリー」より)

1972年、朴正熙(パク・チョンヒ)の軍事独裁政権下で、日本の映画、演劇、音楽が禁止されていた韓国に乗り込んだ紅テントの唐十郎は、当時軍事政権と闘っていた詩人キム・ジハと意気投合し、日韓反骨演劇人同盟を結成。軍事独裁政権の弾圧をかいくぐって、唐十郎の「二都物語」とキム・ジハの「金冠のイエス」を野外で上演する、という離れ業をやってのけました。
「二都物語」の「二都」は東京とソウル。当時唐十郎さんたち日本から韓国に渡った劇団員たちは、韓国公安に尾行されていたそうです。その当時唐さんの妻で看板女優だった故・李礼仙(りれいせん)さんが在日韓国人だったため、当時米軍政下にあった沖縄への「入国」を許可されなかった、という事件から、この「二都物語」を着想したそうです。

政権に更に追わる身となったキム・ジハは地方のサントリウムに軟禁される

それを聞いた唐十郎、キム・ジハを訪れ、胴巻に入れて持って行ったドル紙幣を渡し、「キムさん、これで逃げてくれ」と逃亡を勧めたが、キム・ジハは「今はその時期じゃない」と断ったものの、わざわざ会いに来てくれた唐十郎に心から感謝した。

(キム・ジハ氏逝去のニュースを伝える韓国のニュース:韓国語)

(故・李礼仙人さん、紅テントを語る)

 

 

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