住みたい習志野

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沖縄戦戦没者の遺骨がまじっている土砂を、辺野古軍事基地建設に使うのは「死者への冒涜」

2022-06-27 22:05:36 | オスプレイ、安保、平和

「沖縄は何度も本土の犠牲になってきた」という記事がありました。

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そして今また「沖縄戦で犠牲になった人たちの遺骨が眠っている土地の土砂を、戦争のための辺野古新基地建設に使う」工事が行われようとしていることについて、「戦没者を冒涜(ぼうとく)するもの。どこまで沖縄県民を踏みつけにすれば気が済むのか」と怒りの声が起こっています。

(沖縄タイムスの記事)

「たった数時間で見つかるとは」驚く僧侶 沖縄戦の激戦地で遺骨を収集 土砂を採取しないよう求める

「たった数時間で見つかるとは」驚く僧侶 沖縄戦の激戦地で遺骨を収集 土砂を採取しないよう求める(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

「たった数時間で見つかるとは」驚く僧侶 沖縄戦の激戦地で遺骨を収集 土砂を採取しないよう求める(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

 沖縄から軍事基地をなくすことなどを祈りながら沖縄本島を縦断する日本山妙法寺の「東亜細亜平和行進」に参加したメンバーらが19日、糸満市の荒崎海岸近くで人骨とみられ...

Yahoo!ニュース

 

 沖縄から軍事基地をなくすことなどを祈りながら沖縄本島を縦断する日本山妙法寺の「東亜細亜平和行進」に参加したメンバーらが19日、糸満市の荒崎海岸近くで人骨とみられる骨を見つけた。糸満市や糸満署が26日、現場を確認。沖縄戦の戦没者の遺骨の可能性が高いという。

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 僧侶の鴨下祐一さん(38)ら約15人が19日、同一帯で遺骨収集を実施。骨は「ひめゆり学徒散華の碑」近くの岩の裏から見つかった。朽ち果てた手りゅう弾や五銭硬貨もあった。

 作業に同行した沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表によると、骨は右前腕の尺骨とみられる。高潮などで別の場所から流れてきた可能性もあるという。骨は今後、厚生労働省が詳しい分析を行う見通し。

 鴨下さんは「たった数時間で遺骨が見つかったことに驚いている。この近くにはまだ多くの遺骨が残っていると考えられる。そんな場所からの土砂採取はしないでほしい」と語った。

(琉球放送のニュースより)

「戦没者遺骨が埋め立てに使われる危機」防ぎたい男性の思いはー

「戦没者遺骨が埋め立てに使われる危機」防ぎたい男性の思いはー | RBC NEWS トップページ | RBC 琉球放送

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本島最南端の集落、糸満市束里。農道のわきから手つかずの原生林を進むと、束辺名壕が現れます。遺骨収集ボランティア 具志堅隆松さん「ブルーシートをかぶせてあるのは現...

RBC 琉球放送

 

本島最南端の集落、糸満市束里。農道のわきから手つかずの原生林を進むと、束辺名壕が現れます。

遺骨収集ボランティア 具志堅隆松さん
「ブルーシートをかぶせてあるのは現在ほかの遺骨収集団体が現在その壕をやってるんですよ」

遺骨収集ボランティア・具志堅隆松さんによると、この場所で数人分の遺骨が収集されたのは、ここ3年ほどの出来事。

具志堅隆松さん
「こどもとお年寄りの遺骨もあって壕の入口近くでは」

開発の行方が注目されている鉱山まではおよそ1.5キロのこの場所で、きのうも遺骨が見つかりました。

具志堅隆松さん
「これ自分が指差してるの。指の骨。指っていうか手の甲の骨。左手の親指の付け根部分。大人ですね」

「血の染み込んだ土地から埋め立ての土砂を取るということは、私は戦没者を冒涜することになると思います」

「ここであきらめることはできませんまだまだ声をあげ続けます」

【記者MEMO】
政府は、糸満市など本島南部から辺野古へ、3200万立方メートルの埋め立て材を調達すると計画しています。遺骨収集ボランティアの具志堅さんは、遺骨収集の態勢が万全であればいいという問題なのか、あえて戦没者の遺骨が残るおそれがある場所から埋め立て材料を取る必要があるのかという、戦没者の尊厳の視点が抜け落ちていると指摘しています。今後もこの問題に対する遺族の声を集め、行政に届けるなど、訴えを続けていくということです。

(東京新聞の記事より)

もう沖縄を食い物にしないでくれ

『16歳で沖縄戦に動員された若者は、人間らしさを奪われ、密林をさまよった。沖縄県大宜味村の瑞慶山良光さん(93)は、少年ゲリラ部隊「護郷隊」に召集された。「僕たちは使い捨て」。砲撃を受け、飢えや病気で次々と倒れる仲間を救うこともできない。あれから77年。失った戦友と同じ数の桜を見守り続け「沖縄を二度と戦場にしてはならない」と訴える。

戦況が悪化の一途をたどる1945年3月、志願していなかったのに、役場に呼ばれて入隊した。ぶかぶかの軍服がどこか誇らしかった。約1000人の部隊は15~17歳の少年が中心で、ゲリラ戦で米軍の足止めを狙った。

4月に米軍が沖縄本島に上陸。猛烈な砲爆撃にさらされた。自爆に備え手りゅう弾を口にくわえ、伝令の任務を遂げてきても「なぜ死なずに戻ったのか」と叱責された。爆弾を抱え、米軍の戦車に二人で「突っ込め」と言われ、こみ上げる恐怖をのみ込んだ。
「初めから生まれていなかったと思おう」

米軍の拠点へ襲撃に向かった時、飛んできた手りゅう弾の破片で歯が砕け、野戦病院に。その後は負傷兵を運ぶ役目を担った。砲撃で数十人が吹き飛ぶのを目の当たりにし、痩せ細った仲間を軍医が射殺する銃声を聞いた。知人の遺体を埋めても涙すら出ない。死んだ兵士を見つけると、食糧を奪ってむさぼった。「獣と同じ。人が人でなくなるのが戦場だ」

6月23日、沖縄戦の組織的戦闘が終結し、部隊は7月半ばに解散。故郷に戻った時は、骨と皮だけの体になっていた。

戦後は大工になったが心の傷は癒えない。海山をさまよい、暴れ、一時は部屋に開じ込められた。50歳を過ぎキリスト教徒になり、祈りの中で平穏を取り戻していった。

20年ほど前から、亡き戦友を思い、自宅裏に戦死した仲間と同じ数の69本の桜を植え始めた。今年も花が咲くと仲間の姿を思い浮かべた。「今は桜守のために生きているようなもの」
戦争は、子どもや若者に一生の重荷を負わせる。「沖縄に基地がある限り、標的にされる。戦争になれば、国は住民を守り切れるはずがない」。

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設にも、南西諸島への自衛隊配備にも反対だ。「もう沖縄を食い物にしないでくれ」。声を絞り出した。』

 

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