住みたい習志野

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Narashino Geography 49 「歴史と地理」との関係について

2021-09-26 22:22:33 | 地理学

「歴史と地理」との関係について

歴史(時間)は地理(空間)の付属物

「歴史」は魅力的です。「地理」はチョッと不可解でつかみどころがないと思われています。しかし、歴史は地理の付属物といえます。そもそも、「時間」といううものは空間が生じたことによって存在するからです。アインシュタインの「時空論」の醍醐味は、時間と空間をひとつのものとして捉えたところにあります。158億年前の宇宙開闢(かいびゃく)のとき、時間は存在せず、宇宙という空間が生じたことによって時間も始まったのです。

以前の投稿で以下のように書きました。

物理学でも地理でも「時空」(時間と空間は一体のもの。時間は空間にくっついている)という考え方は共通

 ちなみに、歴史は空間の付属物です。物理学では時間は流れているのではなく、パラパラ漫画のような静止した三次元を人間がつなげて流れているように認識していると理解するようです。

(この世界はパラパラ漫画)
 アインシュタインの時空論が量子力学的な時空論に進んでいます。
分かりやすく言うと「宇宙の始まる前に時間は存在しない」ということです。

(時空のゆがみ)

(「時間」はない。「時空」があるだけ)

(以上、Narashino Geography⑥ 人文地理学 - 住みたい習志野 の記事より再掲)

時間は流れておらず、人間の意識が「流れ」と認識している

 「時間の流れ」と言いますが、最近の物理学では「時間は流れておらず、人間の意識が時間を『流れ』として認識する」と考えています。映画やパラパラまんがのようなものといえますが、3次元的な時間の中を我々が突き抜けていくようなイメージです。歴史学も人間が後から観察して解釈して「流れ」をつくりあげている世界です。歴史は歴史として存在しているのではく、人間が作り上げているということでしょう。量子力学でいう不確定性原理と似ています。

「歴史」は人が覗いて初めて確定される。
「地理」は人による解釈の入る余地が少ない

「シュレディンガーの猫」のごとく、「歴史」は人が覗くまで、確定されていないということです。地理でも同じようなことが言えるのですが、確定された答えはそこに存在しているので、事実は事実として認識することができます。それだけ、人による「解釈」の入る余地が少ないと言えるでしょう。

シュレディンガーの猫 Schrödinger's cat

動画その1

動画その2

「解釈」が歴史の大きな魅力。変数が増えると、よりダイナミックに見えてくる

この「解釈」が歴史の大きな魅力でもあります。厩戸王(うまやとおう)※と聖徳太子のストーリーは興味深いものがありますが、蘇我馬子(そがのうまこ)を変数として考えるとよりダイナミックな時代として捉えられると思います。先日、東京国立博物館で開かれた「聖徳太子展」を観に行ったのですが、蘇我馬子が一切出てこないことが残念でした。

※いままでは「厩戸皇子」と書いて「うまやどのおうじ」と読んできました。
しかしこの時代にはまだ「天皇」という称号はなかった(あるいは定着していなかった)のだから、皇子というのもないはずです。だから最近の教科書には「厩戸王」とかいて「うまやとおう」とルビを振るようになっています。
推古天皇とか聖徳太子とかの名前は、後世に付けられた称号であり、当時はそう呼ばれていなかった、だから「厩戸」にしよう、ということならば、同様に「皇子」でなく「王」にしたほうがいい。ならば読み方も、「ウマヤド」と読んでいいた証拠はないんだから「ウマヤト」にすべきだろう、ということのようです。

時空の「統合」、人間と自然の「統合」という考え方が重要

地理には「歴史地理学」という分野があり、地理学の大きな研究分野でしたが、最近のトレンドではありません。しかし、地理的事象、特に場所の形成には歴史的構造が大きな意味を持っています。地域や場所はいきなり生じて宙吊りになっているわけではありません。空間には時間という要素が張り付いています。地理で扱う空間はまさに「時空」という概念で捉える必要があります。時間と空間の統合、人間と自然の統合、と地理における「統合」という考え方は重要なカギになるものです。

「哲学地理学」あるいは「地理哲学」

地理学者でもほとんど読んでいないと思いますが、ドゥ-ルーズとガタリの対談による著作「哲学とは何か」に「哲学地理学」という1章があり、そこからボクが思いついたのは「時間の個別化が歴史、空間の個別化が地理である」ということでした。また、最近出版されたロドルフ・ガシェの「地理哲学」を読むと理解が深まると思います。

「地歴総合」というアイデアもあったが、歴史学者から「地理はできない」と言われ、「地理総合」と「歴史総合」の2科目必修になった

20年ほど前に日本地理学会地理教育専門委員会で「地理必修化」の議論をしたときに「歴史は時間軸、地理は空間軸」として、日本学術会議にレポートを出しました。その後「地歴総合」というアイデアが出され、シンポジウムが開かれましたが、歴史学者から「地理はできない」と言われて、「地理総合」と「歴史総合」の2科目として来年度から必修化されることになりました。

来年度から「社会科(地理+歴史+公民)」が「地理総合、歴史総合、公共」の3科目必修になるが不安も大きい

高校の教科では「地歴科」と「公民科」というのですが、現実の学校では「社会科」として、地理+歴史(日本史・世界史)+公民(現代社会・倫理・政経)が一括りにされているのが実態です。来年度からは、地理総合、歴史総合、公共の3科目が必修として設定されます。さて、どんな授業になるのか不安が大きい教員が多くいるものと想像してます。

GIGAスクール構想で現場は混乱

ここにさらに学習指導要領と矛盾する「GIGAスクール構想」が天下ってきて、現場は混乱しています。先日、板橋区の小学校の先生から「タブレット配られた翌日にリモートの授業をやれと言われても無理な話」という話を聞きました。教育を知らない行政によって子どもたちの分断と差別が進んでいます。

(以前の投稿もご覧ください)

Narashino Geography⑧ GIGAスクール構想 - 住みたい習志野

(近)

 

 

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