降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃・改稿②

2014年04月02日 | 新聞

【 3月24日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません 】

書き直しです。
「こらっ、整理なのに、活版時代~初期CTS始動【 注 】までの話が整理されていない。分かりにくい」
と、先輩にメールで指摘されました( あっちこっちに話を飛ばしすぎて、自分でも分かんなくなったし、笑 )。
m(_ _)m
「後世に書き残そうかな、新聞組み版」。
以前、書いてきたこととかなり重複しますが、あらためて書き連ねます。

【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。シー・ティー・エス。
1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。
その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

★ 1990年代前半、僕は活版で新聞を組んでいた。

朝日新聞大阪本社も1988年にはフルページCTSに移行し、ほとんどの新聞社は鉛活字・活版組み製作の幕を閉じていた。
社の活版製作局でも、
「ウチもCTS計画しているけど、あと数年先のよーだなぁ。だけど、間違いなく来るなぁ。
俺の定年ごろだから、ま、いいか」
と、よく帰りのタクシー送り【 注・下段 】車内で耳にした。
僕たち整理部も、
「しかし、朝日はきれいな印刷だよなぁ、ほんと。凸輪じゃ勝てないよなぁ。最新鋭オフセット印刷だもんなぁ」
ぐらいだった。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字・活版で組んでいたのだ。

★ 最後の新聞大組み職人たちと出会った。

社の製作局大組み課に、他社活版経験者が「契約社員」として数人来られたのも同時期( 80~90年代前半 )。
CTSの波に乗らなかったのだろうか、日本経済新聞出身の人、築地スポーツ新聞出身の、いずれも60代前半の方たちだった。
日本初のCTSを始動させた日経、
朝日求人欄をバンバンつくるため( と聞いた )いち早くパートCTS化【 注・下段 】した日刊印刷で活版大組みをしていた人たちは、最後の活字職人。
彼らの話をバタバタ大組みしながら聞くのも楽しかったし、
ピンセット1本あれば新聞社を問わず、すぐに大組みできる職人技に
「スゲー」
と思った。( 続く )

【 タクシー送り=たくしーおくり 】
宅送り、とも。新聞社は配送用の自動車部を持っているが、深夜~未明に社員・製作・食堂スタッフを大量に帰宅させるため、新聞社周辺のタクシー会社と契約していた。
家が同じ方向3~4人が1台のタクシーに乗り合い、社から発車。
順番にあちこちに降ろして、最後の人は1時間以上かかる深夜ドライブとなることがたびたびあった( ←僕のことでーす。僕は当時、多摩地区の奥にいたので、参宮橋・調布・狛江・府中など毎日ドライブしていた、爆笑 )

【 パートCTS=ぱーと・しーてぃーえす 】
記事や画像、広告など、すべて取り込むフルページ型CTSに対し、
比較的データ量が軽い記事( テキスト)部分のみ組み上げて印画紙出力→写真など手貼りする、いわゆる電算写植組み。




(・ω・)ノ

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