降版時間だ!原稿を早goo!

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「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★CTSだぞ=「北海タイムス物語」を読む (119)

2016年06月12日 | 新聞

(6月11日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第119回。

【「北海タイムス物語」の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中の1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 465ページから 】
歩きながら萬田さんが胸をはった。
「どうだ。鉛の活字もいまじゃ、こんなものになった。これがうちの自慢のCTSだ。CTSって知ってるか?❶」
「あ、はい。マスコミ予備校で習いました。鉛の活字からだんだんとCTSっていうシステムに移ってきてるって」
「CTSは何の略だ」
「わかりません……」
「なんだ。早稲田の英語力ってそんなもんか。青学の方が上だな」
萬田さんが笑った。
コールド・タイプセッティング・システム❷だ。直訳すると〈冷たい文字組みシステム〉、それに対して何年か前までやってた制作システムをホット・タイプセッティング・システム、HTS、あるいはホットってみんな言ってる。文字通りそのまま〈熱い文字組みシステム〉だ。
昔は凸版なんかは鉛を溶かして鋳型に入れて作ってた。だから制作局はめちゃくちゃ暑かった。大組のときは整理も制作も大汗かくながらここを走りまわってたんだ」
萬田さんはさらに奥へ歩いていく。



❶これがうちの自慢のCTSだ。CTSって知ってるか?
小説は1990(平成2)年。
主要新聞社が鉛活字組み版・編集を終えて、ほぼCTS(シー・ティー・エス)に移行し終えていた時期。
ただ、北海タイムスなど規模の大きくない新聞社が採用したのは(小説後半に出てくるけど)印画紙を貼り込む電算写植型CTSだった。

【全面コンピューター編集は日経が初】
▽1978(昭和53)年3月=日本経済新聞社東京本社が活版組み版からコンピューター組み版・編集「ANNECS」に完全移行
*日経ANNECS=アネックス=は1972(昭和47)年、全自動新聞編集製作システムとして誕生していた

▽1980(昭和55)年9月=朝日新聞東京本社築地新社屋完成と同時に「NELSON」(ネルソン)稼働
▽1988(昭和63)年=朝日新聞大阪本社も「NELSON」スタート
*朝日新聞は1965年からコンピューター編集・組み版システム研究に取り組み、67年からIBMと共同開発。
その後、70年には基本システムがすでに完成していたという。
NELSONは組み版から印刷・発送までコンピューター制御した画期的システムで、特にオフセット印刷能力が非常に高いといわれた


日本の新聞社のコンピューター化を描いた、杉山隆男さんの力作『メディアの興亡』(新潮文庫、文春文庫)を読むと、日経・朝日2社にとって、ともに社運をかけた巨大プロジェクトだったことが分かる。
また、両社の印刷局や整理部の大先輩たちが日夜、鉛活字で新聞をつくりながら、新システム開発に取り組んでいったことも綿密に描かれている(あらためて、大先輩たちに感謝)。
当時開発した漢字変換ソフトは、パソコンなどの入力にも応用されていった、という。

❷コールド・タイプセッティング・システム
CTSは
「Computerised Type-setting System」
が一般的だったけど、萬田整理部長の「コールド」と呼ぶ人もいた。
当時、まだ鉛活字で新聞をつくっていた記憶が新聞社内に残っていたので、
▽鉛活字=鉛をとかして活字をつくる→制作局は熱いよぉ~!➡︎だから、ホット
▽CTS=コンピューター端末を一定の温度にたもたなきゃいけないかったので、制作局はクーラーがんがん→冷え冷え寒いよぉ~➡︎だから、コールド
と区別したんだよ、と先輩に聞いた。
当時の新聞社内では
①鉛活字の活版部門を終える計画
②CTSを始める計画
が同時進行していたので、労務などさまざまな点で「ホット」「コールド」と分ける必要があったのかもしれない。

————というわけで、続く。

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