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★「北海タイムス物語」を読む ❸

2015年11月25日 | 新聞

( きのう11月24日付の続きです )

小説新潮10月号から、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されていた。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人デスクがいたので、札幌の北海タイムスビルに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語社会人編ともいえる同小説に注目した——の第❸回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=(北大中退後)北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店=写真)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月2日廃刊。


( 小説新潮10月号 245ページから )
「野々村さんですか?」
僕が肯く❶と「これを胸につけてください」とラミネートされた名札を胸につけてくれた。よく見るとその女性だけでなくみな名札をつけていた。
司会役の男性の名札には《 総務局長・町村真一郎 》と印字されていた。
部屋は高校の教室三つくらいの広さがあるのでホールといってもいい。

( 中略 )
上座には《 寿 》《 祝 》《 平成二年度北海タイムス社入社式 》❷と墨書された三枚の大きな紙が貼られ、その前方に一段高い雛壇が置かれていた。
( 中略 )
そこから一段下がった床にはパイプ椅子が右に七つ八つ、左にも七つか八つあって、右のほうには中年の男たちが座っていた。
名札には《 編集局長 》《 編集局次長 》《 社会部長 》《 論説委員長 》❸などの肩書きがあるので編集幹部たちだ。


❶肯く
新聞用字用語集「記者ハンドブック」では、
(頷△く・肯△く)→うなずく
記事ではなく著作物なのでかまいません(←何を言いたい?)

❷《 平成二年度北海タイムス入社式 》
平成2年=1990年。
北海タイムスが経営難➡︎自己破産するのは1998年9月だから、この時期にはそれなりの兆しはあったのだろうか………。
小説では後述、
「今年の大卒新入社員は全部で十二人、そのうち編集局付で採用された記者職が八人、残り四人のうち二人が広告局、一人が販売局、一人が総務局に配属」
とあるが、制作局や印刷局の高卒採用人数には言及していない。
当時は不明だけど、北海タイムスでは日刊スポーツ北海道版も刷っていたのだから、オフセット印刷部門はすでに別会社化していたのかも。

❸《 編集局長 》……《 論説委員長 》
▽編集局長=1
▽編集局次長=1~2(推定。普通は複数)
▽社会部長=1
▽論説委員長=1
整理部長、校閲部長はお呼びでない(苦笑)のは当然だけど、
北海タイムス社長、副社長をはじめ、広告局長、販売部長はいらっしゃったのかもしれない。
————続く。

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