降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★ミスタータイムスがいた/「北海タイムス物語」を読む(152)

2016年08月09日 | 新聞

(8月6日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第152回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 351〜352ページから 】
「どうよ。権藤先生❶は」
金巻さんが鼻歌をうたいながら聞いた。
「怖いだろ、あいつは。タイムス背負ってるエースだからな。
女子社員たちは『ミスタータイムス』って呼んでるんだ。
あいつは整理だけじゃない、取材でも抜きん出てた。倶知安支局長時代と社会部時代に社長賞❷二十八回、編集局長賞❷五十六回っていう新記録作ってる。
当然、若いときから全国紙から何度も声が❸かかってんだ。本人は否定してるけど、タイムスの記者はみんな朝毎読の連中から聞いてる。
半年前に本人が希望して整理部に戻ってきた。どこ行ってもエース中のエースだ。選挙んときの統括デスクは、他社じゃ取材側がやるけど、うちだけは萬さん、権藤と、二代続けて整理が主導してるんだ」
権藤さんに取材でもそれだけの実績があるとは思わなかった。

(中略)
JRの高架下をくぐって札幌駅前に出た。来るときと違い、車がびっしり走っている。

❶権藤先生
整理部で仕事のノウハウや業務全般を教える役が、先生。
会議は◯時からとか、コピーの取りかたとか、社食の使いかたとか、宅送りの乗りかたなどのほか、
整理部本来の業務である見出しのつけかた、レイアウトのポイント、編集端末の使いかたなど、けっこうたくさんあって〝先生〟のほうが疲れちゃう。

❷社長賞/編集局長賞
賞金額でいうと(整理部の場合)、
①本社代表賞・社長賞
②編集局長賞
③整理部長賞
の順か。いずれも賞の選考委員などはいない(新聞社によってシステムが異なります)。
賞を出すカギを握るのは(だいたい)編集局長ですね。

❸若いときから全国紙から何度も声が
おそらく校閲部なら「〜から〜から」に引っかかるはず。
「『若いときから何度も全国紙から』のほうが良くね?」
と手を入れようとするかもしれない。
だけど赤字直しはせず、著作物なのでこのまま行きましょう。

……ということは、さておき。
他社から引き抜くケースは次のとおり。
①先に転社したAくんルート
転社先の部長「欠員が出たので、もう1人、君の推せるやつ(君がいた社に)いないかな?」
Aくん「う〜ん。いないわけではありませんが、あまり短期間は……」
部長「それもそうだけど、うちも新人を一から教えるのアレだしなぁ……3カ月の時間で考えてみて。頼むよっ、なっ」
このケースはAくんが優秀(=仕事ができる)だった場合のみ。
②編集幹部が一本釣りするケース
社を超えてのコネクションをもつデスクや局次長が暗躍することがある。
僕は以前、とある銀座のバーで局次長と他社部員がコソコソ話し込んでいるのを見た(←市原悦子さんのようにね)。
4カ月後、そのときの彼がネクタイ締めて
「よろしくお願いします」
と入ってきたので、局次長-専務派だなコイツと、局長-社長派の僕は思った(笑)。

———というわけで、続く。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。