降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「東京日日新聞」を見た❶

2014年10月21日 | 新聞

【10月12日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。


お断り=当時の政治情勢や世情などは考慮せず、ただ単に
「昭和初期の、鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?」
に注目しました。
紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
というわけで、復刻新聞紙面に驚いたぁシリーズ第25回】

● 1942年には1段15字組み15段編成だったのかぁ。
@昭和17年5月17日付復刻版「東京日日新聞」


東京日日新聞(写真)は初めて見た。
題字は、3段弱43倍ほどで「東京日日新聞」とあり、
大阪毎日新聞社東京支店
東京日日新聞發行所
有樂町一丁目十一番地三
「一部金六銭」と題字下にある。
欄外日付の前に
「紀元二千六百二年」
とあるのは、時代なのか………。

紙面編成
1ページ15段組み(フロント1面で記事13段+広告2段)
1倍88活字15字どり(*1)行間55(*2)
で、中挟み広告(18行)と、左下に2段ツキダシ広告がすでに入っている。
へぇ~。

紙面レイアウト
題字下込み4段で、広告1段(トンボ鉛筆だ!)+1段見出し記事3段流し
→合計8段
この組み方は、大事件のときにタテ題字の新聞が行う手法で、昭和17(1942)年には早くもやっていたんだねぇ。
へぇ~。ほぉ~。

大胆に、上2段で写真をドーンと展開している。
(→エトキがスゴイ! 1.5倍G「好餌求めて出撃する我が潜水艦」。
好餌求めてwwww
写真説明は当時、整理部が書いたのだろーか、写真部が書いたのだろーか……)

続けて、6段見出しをドーン!
地紋凸版「帝國潜水艦開戰以来の戰果」
主見=7.5倍鉛活字見出し「敵船六十五隻(四十四萬余噸)撃沈」
袖見=6.5倍鉛活字見出し「太平印度/兩大洋厭し不撓の敢闘」

写真配置や見出しの作り方を見ると、昭和60(1985)年ごろまでの一般紙レイアウトと基本的にほぼ同じ。
ふーむむむ……………長くなったので、続く。

(*1)1倍88活字15字どり
しつこく、繰り返し書きます。
倍(ばい)は新聞製作で使う単位。1倍は88ミルス。倍半(ばいはん=1.5倍)は88+44ミルスで132ミルス。
1980年代から始まったCTS(コンピューター組み版・編集)では、11ミルスを1U(ユー・ユニットの略)として、
1倍=88ミルス=8U
1.5倍=132ミルス=12U
とした。
記事に使われている1倍88ベタ活字のサイズは
天地88ミルス、左右110ミルス
の偏平体で、1段は1320ミルス(88×15)。

(*2)行間55
行間はインテルと呼ばれた金属板でつくった。55とは「55ミルス」のこと。
ほかに行間は、
メモや短信に使った狭い33インテル(新聞社によっては22インテル)、
段組み前文で使った広めの88インテル
があった。
整理部はゴーゴー、サンサン、ニイニイ、ハチハチと呼んだ。